「なんでこんな一段一段なんだろう」
2010年のバンクーバー五輪。上村愛子さんが語った言葉は、多くの人の心を震わせた。5大会連続で五輪出場を果たし、日本のスキー界を牽引してきたレジェンドに、当時の心境についてあらためて伺った。
確実視されていたメダル、世間で物議をかもしていた採点基準問題、1年間の休養……。今、振り返って思うこととは。(全3回の2回目/続きを読む)
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――ミラノ・コルティナ五輪でスキー・モーグルに初出場する柳本理乃選手や中尾春香選手は、上村さんに憧れて競技を始めたと言います。柳本選手は上村さんのカッコよさ、中尾選手は上村さんの涙を見て「私が金を獲って愛子さんにプレゼントしたい」と思ったとか。
上村愛子さん(以下、上村) みんなに、ありがとう、と言いたいですよね。そんな言葉を耳にするたびに、メダルは獲れなかったけど、20年間やり続けて本当に良かったと思います。
――初の五輪は1998年の長野大会で、7位入賞を果たしました。上村さんは当時高校生で、五輪前のCM出演も話題になりましたね。
上村 長野五輪は里谷多英さんが金メダルを獲って、日本にモーグルという新しい競技の扉を開いた大会でもありました。メディアに取り上げてもらう機会も次第に増えて、その影響で今の選手たちがモーグルを始めたと思うと、心から嬉しいです。ましてや「愛子さんに金メダルをあげたい」なんて言われたら、その言葉そのものが私にとって金メダルのようなものです。
「なんで」「こんなにきれいに並ばなくてもいいのに」
――2010年のバンクーバー五輪で4位になり「なんでこんな一段一段なんだろう」と涙した言葉は、多くの人の心に刺さりました。
上村 とっさに、素直な気持ちから出た言葉でした。長野で7位、ソルトレイクシティーで6位、トリノで5位。ずっと階段を一段一段登るような成績で、それは本当にたまたまで。複数名のジャッジの人達が点数を出すわけなのでもちろん作られた順位ではなく、「不思議だなぁ」と思っていたんですよね。
私はもちろんメダルが欲しかったから、「7、6、5、1」って、飛びぬけられると信じていました。バンクーバー五輪はメダルのチャンスが近くにありましたから。
だから、本当に素直に、「なんで」って言葉が口をついて出ていました。こんなにきれいに並ばなくてもいいのにと思って。
――当時、バンクーバー前のW杯で総合優勝、世界選手権でも優勝していることもあり、メダルが確実視されていました。

