成績は常に「オール5」の優等生だったが…
松永は1961年4月、福岡県北九州市小倉北区で畳屋を営む両親の長男として生まれた。7歳のころ、父親が実家の「松永布団店」を引き継ぐため同県柳川市に転居。入学した地元の小学校では全学年を通して「オール5」で、学級委員長や生徒会役員を務めた。
中学1年時には校内の弁論大会で3年生を差し置いて優勝。理路整然と語る口の巧さは当時から発揮されており、所属していた男子バレーボール部ではキャプテンを務めた。成績優秀でリーダーシップもあり、一目置かれる存在ではあったものの、教師からの評判は低かった。というのも、当時から自分より弱い存在に対して横暴な態度を取っていた他、己を大きく見せるための虚言癖があり、小・中学校時代の一部同級生も、松永の裏の顔をよく知っていたという。
不純異性交遊が発覚し、退学…
1977年、緒方も在学していた久留米市にある福岡県立三潴高校に入学。風紀委員長として活躍していたが、高校2年生のときに家出した女子中学生を家に泊めたことによる不純異性交遊が発覚、退学処分となり、同じ久留米市の私立高校に編入する。
卒業後は大学に進学せず、福岡市内の菓子店に就職するものの、わずか10日で退職した。
その後、親類が経営する布団販売店などを転々としてから、1981年5月に父親から家業を譲り受け、柳川市の自宅を本店とする布団訪問販売会社「ワールド」を設立。持ち前のコミュニケーション能力をフルに発揮し、原価3万円の布団を25万円で売りつける詐欺的商売で会社を急成長させ、多くの従業員を抱える。1982年1月に2歳年上のジュンコさんと結婚。約1年後の1983年2月に長男を授かる一方、妻が妊娠中だった1982年10月ごろに緒方と初めて肉体関係を持った。
緒方は1962年2月、久留米市安武町の農家に生まれた。父方の祖父は元村議会議員、父親は農業をする傍ら鋼鉄の線材を作るメーカーに勤めており、家は村の3分の2を占める名家だった。そんな裕福な環境下、緒方は何不自由なく育てられ、地元の公立中学を卒業した後、松永と同じ公立高校に進学。性格はおとなしく地味だったが、成績は優秀で進学クラスに在籍していた。
高校を出て福岡市内の短期大学に進学し、卒業後の1982年4月から幼稚園教諭として働き始める。松永に処女を捧げるのは、その半年後のことである。
松永が緒方に接触したのは当初、単なる遊びだった。実際、外面の良かった彼は結婚後も多くの女性と関係を結んでいる。が、緒方と男女の関係となり、彼女の実家が資産家であることを把握すると、その目的は財産へと変わっていく。話術に長けた松永にとって、従順で真面目な緒方はいとも簡単に操れる存在だった。
2人が関係を持って2ヶ月が経過した1982年12月24日のクリスマスイヴ、松永は久留米市にあるホールを借り切って、会社主催の音楽コンサートを開いた。
約1100人のキャパのホールに招待されたのは緒方や当時妊娠中だった松永の妻、他に関係のあった女性ら約50人。松永はワールドの従業員に伴奏させ、自らマイクを握り歌った。全ては自分の見栄と、これから落とそうとしていた女性の気を引くためだった。
