「ご両親の判断は正しかった」
――先ほどもうかがいましたが、医師でもあるお父さんが、お姉さんを精神科に連れて行かなかった要因のひとつには、医療への不信があった。
藤野 そうだと思いますよ。映画を公開したあと、高齢の精神科医の方から「あなたのご両親の判断は正しかった」との感想をもらいました。姉が統合失調症を発症した1980年代当時の病院の実態を知る人からすれば、家族を入院させなかったことには一定の根拠があると言うんです。
父はただ単に、家族に統合失調症の患者がいるのは恥ずかしいから、姉を病院に連れて行かなかったのではなかった。色々なジレンマを感じていた。結論だけをいえば、「もっと早く姉を病院に連れて行くべきだった」となりますが、父は父なりに、自分の中での最善を選んだのだと思います。
それに父は、大正生まれです。精神病の患者や家族に対する、戦前からの日本社会の差別や偏見の歴史を知っています。
――そういえば、かつての日本では、精神障害を含む障害者への断種(強制不妊手術)が行われていました。
藤野 今、「かつて」と言われたけれども、断種は1996年まで日本の法律では認められていました。割と最近まで行われていたんです。
誤った行為かもしれないけど、映画を公開する必要がある
――映画『どうすればよかったか?』での藤野さんは、作品の監督であると同時に、家族のひとりでもある。そのため、映画の反響を、それぞれの立場で受けることになります。
藤野 そのことは理解しているつもりでいましたが、公開が近づくにつれて、当事者である面を強く意識するようになりました。姉の遺族は、私だけではありません。統合失調症の親族がいることを理由に、親戚たちが差別されないとは言い切れないですから。
だからこの映画を公開することで、親戚たちとのつながりが切れて、私は孤独になってしまうかもしれない。でも、それは仕方のないことです。社会に対して、こういう家族がいたんだと伝えることのほうが大事です。ただし、できる限り親戚への影響はないようにはしました。それは書籍でも同様です。
――映画では、ぼかしやモザイクでお姉さんの顔を隠したりしていません。書籍には「統合失調症の人も人間です。ぼかしの向こうにモンスターがいると思われたくありません」と書かれています。
藤野 統合失調症の家族がいることは、隠しておいたほうがいいのかもしれない。でも、みんながそうしていると、問題の存在自体がなかったことになる。存在しない問題は解決にもたどり着かないですよね。
だから私は、この映画を公開することは、日本の伝統的な価値観からすると誤った行為かもしれないけど、公開する必要があると思ったのです。

