精神科に入院するまでのプロセス
――書籍には、映画の感想の中に「カメラを回している暇があるなら、お姉さんを病院に連れて行くべき」といった声もあったと書かれています。映画を公開すると、こうした短絡的な声が当事者に向けられます。
藤野 いやいや、その感想は、特に短絡的なものでもないと思いますよ。私は割と率直な感想として受け止めています。たいていの人は、精神医療についての法律や実情を知らないですから。
たとえば、精神科への入院には、法律上、色々あるんです。本人の意思による場合、自傷・他害の危険があって行政が介入して入院させる場合、それと家族が代諾、つまり本人に代わって入院を承諾する医療保護入院です。通常は親が代諾する立場にありますから、私がいきなり姉を病院に連れていくわけにはいかないんです。
――お姉さんの場合は、お父さんが高齢となったことで、弟の藤野さんが代諾をします。
藤野 はい。それは姉の入院について、私が責任を負うことでもあります。だから書籍にも書きましたが、入院前、私は医師に、姉が入院後に入る部屋を見せて欲しいと頼んだ。すると「普段は見せませんが」といって見せてくれた。本来なら見せないところまで見せてくれたので、私は病院を信用して、姉の入院を決めました。入院後も、私は頻繁に見舞いに行きましたが、それは代諾した立場上、100%病院を信頼するのではなく、姉が入院中に虐待を受けていないか、体にアザができていないか、直接確認する意味もありました。
「今この瞬間」はとても多義的だから
――映画『どうすればよかったか?』は、モザイクが使われていませんが、音楽も使われていません。それでも、SNSには、藤野さんの姉と父が花火を見上げる場面や、最後に姉が手をふる場面に心を揺さぶられたとの感想が多くあります。
藤野 たとえば、映像に音楽をつけると、そこに特定の意味が与えられてしまいますよね。「ここは悲しい場面です」という具合に、ひとつの場面がひとつの意味しか持てなくなる。すると“痩せた世界”になってしまいます。
でも、現実の「今この瞬間」というのは、とても多義的です。嬉しい場面であり、同時に悲しい場面でもあり得る。それが実際です。映像そのもので何かを伝えるというのは、観る人それぞれが、どういう人生を歩んできたかによって受け取り方が違ってきます。
映像を観ている人の経験と、今この瞬間に映し出されているものがぶつかり、反応するものなんです。
映画『どうすればよかったか?』に限りませんが、映像作品というのは、そうやって観た人それぞれの感想が生まれるものだと思っています。
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