2022年10月、79歳でこの世を去ったアントニオ猪木。「燃える闘魂」の背中には、常に北朝鮮という国の影が付きまとっていた。訪朝歴は30回以上。金正恩体制の実質ナンバー2であり、金正日の義弟でもあった張成沢とも懇意にしていた猪木氏だが、2013年11月に行われた最後の面会で、張氏の様子がどこか違っていたという。

「歴史が証明してくれる」

 虚ろな表情でそう語った張氏は、そのわずか1カ月後、全役職を解任され即日処刑されることになった。なぜ、粛清直前の重要人物と猪木氏は会うことができたのか。朝日新聞外交専門記者、広島大学客員教授を務める牧野愛博氏による『金正恩 崖っぷちの独裁』(文春新書)の一部を抜粋して紹介する。

ADVERTISEMENT

◆◆◆

アントニオ猪木と世論工作

「赤い貴族」と最も頻繁に交際があった日本人の一人が、22年10月に79歳で亡くなったアントニオ猪木(本名・猪木寛至)だった。元プロレスラーで、参議院議員を2期務めた猪木が親しく付き合った国の一つが北朝鮮だった。

 訪朝歴は30回以上を数えた。最高指導者との面会は実現しなかったものの、米朝協議を主導した姜錫柱元副首相、ロイヤルファミリーの金庫番だった李洙墉元外相、6者協議代表も務めた金永日元党国際部長ら、日本政府高官でも面会が難しい人々と会談した。

アントニオ猪木(中央) ©︎文藝春秋

 猪木は、朝鮮半島で生まれた力道山の「唯一の愛弟子」という縁で、1994年に初訪朝。金正日の側近だった金容淳党書記が「プロレスなんて知らない」と語ると、「私が北朝鮮でプロレスの興行を実現します」と約束した。

 95年4月に平壌のメーデースタジアムに20万人近い観衆を集め、興行を打った。戦い好きの北朝鮮の人々は初めて見るプロレスに熱狂、たびたび訪朝する猪木を「男気のある人物」と好意的に受け止めた。