当時の日本では、外国人が日本人と正式に結婚するには、外国人側が日本に帰化し、相手の家の養子(入り婿)になる必要があった。そうしなければ、これから二人の間に生まれてくる子供は、法律上は私生児扱いとなる。父親の戸籍に入れず、相続権もなく、社会的にも差別を受ける立場に置かれてしまうのである。
子供のためを思えば、八雲が小泉家の入り婿になることに躊躇はない。
八雲が本当に心配していたのは、日本に帰化して小泉家の戸籍に入った場合、給料が日本人並みに減額されてしまうことだった。
いま八雲は外国人教師という立場で月給100円を得ている。これは当時の小学校教員の月給が10円前後であることを考えれば、破格の高給である。それが日本人並みになれば、セツの家族を援助することはおろか、自分の子供をまともに育てることさえ難しくなるかもしれない。
八雲は板挟みになっていた。子供の将来のためには帰化が必要だが、帰化すれば経済的に家族を支えられなくなる。セツを正式な妻として迎えたい。しかし、それが結果的にセツと子供を不幸にするかもしれないのである。
“母を捨てた父”を反面教師としていたか
この時、八雲の脳裏にあったのは、自分の父親のことだったに違いない。
八雲にとって、父親は絶対に許すことができない人間のクズである。それも、後世の我々も話を聞けば激怒するくらいにクズ中のクズである。
赴任先のギリシャで出会った母ローザと結婚し、彼女をアイルランドに連れてきた。ところが父は、妻と幼い八雲をダブリンの実家に置いたまま次の赴任地インドへ旅立ってしまう。慣れない異国の地で孤立した母は精神を病み、父は「ギリシャでの結婚は無効だった」とまで言い立てて彼女を捨てた。そしてほとぼりも冷めないうちに新しい妻を迎え、八雲には母親の違う異母妹までできている。