ハプニングバーという業態を聞いたことがあるだろうか。近年では「日本最大級」を謳う店が摘発されるなど、違法性が問われるケースが相次いでいる。表向きは普通のバーでありながら、店内で男女が性的な行為を行うことが問題視されているのだ。
この「謎の社交場」は、どのようにして誕生したのか。ノンフィクションライターの高木瑞穂氏の著書『ルポ 風俗の誕生』(清談社Publico)から、ダイジェスト版をお届けする。
客の一言から始まったハプニング
「変態が集まる単なるバー。それがもともとのコンセプトだったんですけどね」
1999年10月、東京・新宿歌舞伎町の雑居ビルで、当時39歳だった川口敏喜はバー「ピュアティ」をオープンさせた。きっかけは、それまで通っていたカップル喫茶「グランブルー」での不満だった。
「カップルでも単独男女でも嫌な思いをせず、楽しく変態できる場所をつくりたくなった」と川口は語る。
「21世紀型のアダルトバー」というキャッチコピーで広告を打つと、全国から変態たちが集まるようになった。そしてある日、ひとりの客が冗談まじりに「どうせなら入れちゃいなよ」と言ったことをきっかけに、男女がノリで一線を越えた。
川口にとってそれは偶然の出来事だった。周囲も「こんなハプニングもあるんだね」と囃し立てた。こうして「ハプニングバー」という業態が誕生したのである。
大手資本が参入したことで…
しかし、DVDの発売をきっかけにハプニングバーという言葉が世に広まると、商機を見出した大手資本が次々と参入。2004年には警察当局による一斉摘発が行われた。
「当然でしょう。本来は日陰の存在であり、趣味嗜好が合う変態だけが密かに集い、家賃やメシ代が出て楽しく遊べればいいくらいじゃないといけないハプニングバーが、あろうことか日の目を見てしまったんだから」と川口は振り返る。
現在のハプニングバー業界は、警察の摘発を恐れて「出会いバー(ノンハプバー)」へと形を変えている。そこでは単にその日にセックスする相手を見繕うだけの「出会いの場所」となっており、本来のマニア向け文化は失われつつあるという。
こうした現状を踏まえ、「私がつくったハプニングバーは、あと3年もしないうちに単独男女しか利用しない場所になってしまうだろう」と川口は予測する。ハプニングバー生みの親は今、歌舞伎町でハプニングのないバーを営んでいる。
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