“お金のにおい”がしたレーサムに入社

 2年後、就職活動の時、世の中は、アベノミクスに突入していた。「3本の矢」の3本目である「成長戦略」は、株・金融、不動産、ITに向けられた。ここで陳氏は、社会に出て何がしたいのかを改めて考えた。

「お金持ちになりたい。経営者になりたい。そのためのコミュニケーション能力を高めたい」

 それを満たす業種は不動産業しかない、というのが陳氏の結論で、不動産会社の「レーサム」に入社した。2025年5月に、創業者が乱交パーティや薬物所持の疑いで逮捕されて世間を騒がせたが、2013年当時は飛ぶ鳥を落とさんばかりの急成長企業だった。面接では直接社長から「お前は何が欲しいんだ」と聞かれ、「お金です。だけどお金だけではなく自分の軸も欲しい」と答えたという。

ADVERTISEMENT

「新卒採用は4人でしたが、その1人に入れました。活気があってこの会社は伸びていくという予感がしました。本社は霞が関の金融庁が入るビルの上の階にあって、とにかく“お金のにおい”がしたんです」

 入社して最初の月に受け取った給料は全額、宅地建物取引士の資格取得のための塾代に回した。宅建塾の大手、TACとLEC、そしてオンラインの学校の3校に同時に申し込み、仕事が終わると、それぞれが出す予想問題を解きまくった。それがいちばんの近道だと信じたからだ。合格は最初の受験で手にした。

画像はイメージ ©AFLO

 レーサムには3年間所属し、仕入れと買取りを学んだ。社長の席の隣に不動産投資部があり、担当する8人のうちの1人だった。年間の仕入れ予算は500億円もあり、挑戦できる土壌はいくらでもあった。仕事は順調だったが、当初から「30歳になる前に起業する」と決めていたので29歳で退職し、今の会社を起こした。「海安居」という社名は、中国語で「天下」や「世界」を意味する「海」と、「安心の居住空間」を意味する「安居」をくっつけたものだ。

 最初から大きな仕事はできないため、創業時は賃貸住宅の仲介からスタートした。本社は、学生の町、高田馬場にした。部屋探しをする人が多く、アルバイトを雇うにも都合がよく、新宿に近い割に家賃が安かったからだ。

 独立した2016年は、民泊が流行り始めた頃でもあった。一時は190室まで増やし、絶好調で回していたが、コロナで“撃沈”し、儲けは全部吹っ飛んだ。約20名だった社員は7名にまで減らした。

 その後、何とか耐え忍んでいたところ、幸運にも日本不動産ブームがやってきた。香港、中国、台湾からの不動産購入依頼が増え、一気に息を吹き返したのである。1棟12億5000万円の高額案件も売った。さらに最近は、既存顧客からの紹介で新たに中国からの顧客が自然と来るようになった。内装が分かる経験も生きている。経営は軌道に乗った。コロナ禍のステイホーム中に授かった一人娘は、今、都内の名門幼稚園に通っている。

 正直に言えば、陳氏の話を聞くまで、「中国人に日本の不動産を売っている中国人」に良い印象を持っていなかった。日本人の鼻を明かすことばかり考えている人種のように思っていたからだ。しかし彼は極めて常識的で、向上心に満ちた有能なビジネスマンだった。

 私は、1986年公開のアメリカ映画『ガン・ホー』を思い出した。アッサン自動車という日本の車メーカーがアメリカ北東部の小さな町に進出し、工場を稼働させる。そこで働くアメリカ人と日本人幹部との衝突や葛藤を、コメディタッチで描いた映画だ。日本人が「エコノミック・アニマル」と揶揄され、日米貿易摩擦が激しかった時代に作られたが、登場する日本人は、あまりに集団主義的で、ど根性主義で、戯画的に描かれている。今見ると笑えるが、当時のアメリカ人からすれば、それくらい日本人は「異質で異常な存在」に見えたのだろう。私は陳氏のことをその映画に登場する日本人のように誤解していた。