結婚生活が2年で破綻したメリーは戦後、関西の料亭で女中として働いていたと記したが、実際は慰安所で働いていた。関東の料亭がそうであったように、この店も進駐軍相手の商売に切り替えていたのだ。

パンパンになったメリーさん

 メリーはRAAで知り合った米軍将校の愛人になった。その後は米軍将校を追って上京するが、愛人関係は長続きしなかった。1948年に勃発した朝鮮戦争により米軍将校が現地へ赴くと、戦争が終結したあとも、米軍将校はメリーのもとへは帰らなかった。結果として、ひとりになり生活に困ったメリーは、横浜・伊勢佐木町へ移動してパンパンとしての生活をはじめる。

 子供時代から裁縫が趣味で、また派手な格好が好きだったというメリーは、白い化粧をして、白い服を着て街に立った。

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 パンパンとは、在日米兵相手の街娼の俗称だ。戦災で家族や財産を失い、生活に困窮して連れ込み旅館でカラダを売った。『戦後史大事典1945‒2004増補新版』(三省堂)によれば、1947年時点で東京に3万人、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸を加えた6大都市の合計で4万人のパンパンがいたとされている。

 5年後のメリーもそのひとりだったことになる。

 RAAで働くこと。進駐軍の将校の愛人になること。相手とはいつか別れが来ること。生活のために路上に立つこと。いくつもの類似点を精査すると、白塗りの厚化粧にフリルのついた純白のドレス姿で街娼をし、関西のRAAで働いた経験もあるメリーこそ、夜鷹から交縁までを紐づける論理面の支柱だと気づかされたのだ。

 話をまとめよう。