「出てけ」――23歳でアイドルになると言ったとき、両親は激怒した。苦労して見つけた仕事を辞め、夢を追うと言い出した娘に、通帳の金を渡して家から追い出したという。叔父の陣内智則からも「甘い世界じゃない」と心配された。

 それでも彼女はなぜ、35歳までアイドルを続けられたのか? 「KRD8」リーダー・宮脇舞依さんの人生に迫る。(全2回の2回目/最初から読む

数々の逆境を宮脇さんはどうやって乗り越えたのか? ©山元茂樹/文藝春秋

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23歳でアイドルデビュー

──35歳現役ご当地アイドルの宮脇さんですが、KRD8でアイドル活動を始めたのはおいくつの時ですか?

宮脇舞依さん(以下、宮脇) 23歳です。普通のアイドルは卒業する歳ですよね。他のメンバーは10代から20代前半ぐらいで、ほとんど年下でした。もともと完全な素人よりも、芸能系の学校に行ってたり、読者モデルやタレントをやっていたような子が多かったです。

──最初の1年はほとんどステージに立てなかったそうですね。

宮脇 立てませんでした。CDも1枚目や2枚目はほとんど声が入っていなくて。当時、メンバーみんなに口上があったんです。私は「ぶきっちょだけど一生懸命がんばります」っていう。作曲者さんが私の口上を歌詞に入れてくれていたんですけど、その曲、私、一言も声が入っていなくて。それぐらい干されてましたね。ファンも全然いないし。

──そうだったんですね。

宮脇 もともとKRD8は「軍師官兵衛」放送中の1年限りの予定だったんです。ただ、2年目以降も姫路市の商工会議所から離れて、社団法人を作って続けることになって。そこで一度、辞めるか辞めないかの選択を迫られました。実際、そのタイミングで半分くらいのメンバーは辞めたんです。

 ただ、私は「まだ全然ステージに立ってない。運営を見返すまで辞められない」と。それで昼間のバイトを辞めて、アイドルに転職しよう、と。それだけでは食べていけないので、アイドル活動しながら働けるバイトを探して、深夜のコンビニや工場で働いていました。

──ご両親はどんな反応でしたか?