1月1日に亡くなった久米宏さん。様々な人気番組の司会者として知られた久米さんが、自伝で「最も楽しいテレビ番組だった」と語ったのが「ニュースステーション」だ。現在放送されている「報道ステーション」の前身で、時に視聴率30%を突破したこの番組は、「日本のニュース番組を変えた」とも称される。初代のチーフ・プロデューサーで現在はテレビ朝日会長を務める早河洋氏が、久米さんとの日々を回顧した。

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名番組初期のさまざまな試練

「こんなんじゃやってられない!」

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 18年続いた「ニュースステーション」の日々を思い出すと、真っ先に蘇るのが、放送後の反省会。久米宏さんの声が響き渡っていたあの日のことです。

久米宏氏 Ⓒ文藝春秋

 1985年10月7日、22時にスタートしたこの番組最初の特集は「鮭」を切り口にした環境問題でした。河川の汚染が進み、放流した鮭がほとんど戻ってこない。豊かな河川にするにはどうすればいいか……と、全国を中継で結び、家庭の食卓から地球規模の環境問題を考えようという構成作家のアイデアです。

 ところが、本番で機器が故障し、現場の映像が出ない。札幌のアナウンサーの食事風景や新潟の割烹鮭料理、福岡の鮭神社とどうにか繋いだものの、肝心のVTRがないのであまりに締まらない中継が続きました。

 その日のエンディングは、チェコスロバキアの大統領からの新番組スタートのお祝いの言葉。ソ連や東欧の番組やニュース素材を取り扱っていたインタービジョンの協力でした。ワールドワイドなニュース番組を打ち出そうとしたものの、ズレにズレた取り合わせで、いま思いだしても我ながら苦笑いしてしまいます(笑)。

「ニュースステーション」での久米宏氏 Ⓒ朝日新聞社

 当然、視聴率は9%ほどと低迷。プライムタイムなら最低でも12~13%はなければといわれた時代にその数字が続きました。人気番組を数多く抱えて「出演番組の合計視聴率100%超の男」とも言われていた久米さんは当時、全生放送番組を降板してこの番組に懸けていましたから、落胆するのも当然でした。4795回放送した「ニュースステーション」と久米宏さんの日々は、こんな夜から始まったのです。