それにもかかわらず、この27歳という数字が最頻値として可視化されていることで、そこから外れた瞬間に、周囲は「みんなができることができない人」というレッテルを貼ります。しかし、それは本人の資質の問題ではなく、単なる「統計上の外れ値」に対する偏見に過ぎません。ただの数字が、いつの間にか「正常」と「異常」をジャッジする境界線として機能してしまっているのです。

「いい年して独身=性格に難あり」ではない

年齢の議論をする際に現実問題として無視できないのは、「子どもが欲しいかどうか」という点です。子どもを授かり家庭を築くことを望む人々にとって、年齢が持つ重みは抗いようのない事実です。ですが、そうした「時間的制約」があることと、その人を「性格に難がある」を結びつけるというのは、全くの別問題です。

そう言いながらも、私自身も年齢による「普通」のジャッジを無意識に行っていました。

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10年ほど前、筆者がこの業界に入って最初に出会った30代半ばのカップルがいました。お二人とも大手企業に勤める、知性と誠実さを備えた方々でした。外見もまた、非常に整った美男美女という印象でした。

そのため、当時の私は、「これほど素敵な方たちが、なぜこの年齢まで独身だったのか」と不思議に思っていました。すなわち「30代半ばなら結婚していて普通」という画一的な物差しで無意識にもお二人をジャッジしてしまっていたのです。彼女が口にした「仕事に打ち込んでいるうちに、この歳になった」という言葉。それはレアケースなどではなく、仕事という「正解」のある世界で誠実に走り続けてきた結果に過ぎませんでした。

こうした、私自身が抱いていたような「小さな偏見」の積み重ねこそが、知らぬ間に「普通」という名の境界線を引き、そこから外れた人々を審査員席から品定めしていたのだと、今では深く恥じています。

出会いは自己責任、結婚は贅沢品になってしまった

かつての日本には、職場結婚や地域のお節介といった「出会いのインフラ」がありました。恋愛が苦手な人でも、仕組みによって家族へと繋がれるシステムがあったのです。