しかし、その仕組みが消滅した現代、出会いはすべて「自己責任」のサバイバルとなりました。膨大な時間と感情を投下する自由恋愛を通過しなければ辿り着くことが難しくなった今、結婚はもはや、時間や感情のコストを自ら捻出しても得ることが難しい「ラグジュアリー(贅沢品)」へと変質してしまったのです。
この「仕組みの消滅」という問題を、世間は都合よく「本人の魅力や性格の欠落」という個人問題にすり替えています。もちろんマッチングアプリという便利なツールはあります。実際に、このツールを使いこなし、幸福を掴む人々も多く存在します。
その一方で、常に「選別」の目に晒され続け、果てしないセルフマーケティングの労力を強いられている人もいます。かつてのインフラは、こうした時間的・心理的負荷を肩代わりしてくれていたのです。
「あいのり」は恋愛の「無駄」を丁寧に描いていた
そして、この「出会いのシステム」が消えた空白に入り込んだのが、SNSによる「可視化されるジャッジ」です。
近年、芸能人やモデル、あるいは一般人が出演する恋愛リアリティーショーが、次々と制作されています。そこでは出演者の魅力が最大限に引き出され、多くの視聴者を惹きつけるエンターテインメントとして成立していますが、同時に起きてしまったのは、恋愛という極めてプライベートな領域の「可視化とマニュアル化」です。
恋愛リアリティーショーの先駆けといえば、1999年に放送開始した「あいのり」を思い出す方も多いでしょう。当時の番組には、不器用な若者たちが長い旅路の中で悩み、失敗し、その「無駄」を通して成長していくプロセスを視聴者も共有する、いわば「共感のインフラ」としての機能がありました。
現在の恋愛リアリティーショーは「最短ルート」しか描いていない
しかし、近年の恋愛リアリティーショーの多くは、限られた時間の中で「誰が選ばれるか」という「結果」と、そのための「戦略や駆け引き」に重きが置かれます。