若い頃、私はサリンジャーの良い読者になれず、そのことにコンプレックスを抱いていた。『ライ麦畑でつかまえて』も『ナイン・ストーリーズ』も、もちろん格好つけて読むには読んだが、その面白味がわからなかった。世間を覆う「サリンジャーわからない」と言えない空気がどんなに息苦しかったか。
『ライ麦畑』のスピンオフ的な短編を含めた九編から成る『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年』も、どうせ自分には無理だとあきらめの境地で一応めくってみたのだが、これが長年のサリンジャー観を百八十度ひっくり返す面白さで、本当に仰天した。
とにかく途方もなく巧い。切りのない日常を短く切り取る。それが短編小説の基本なのだが、本書のそれは「どこを切り取るのか」「どこまで切り取るのか」の選択が絶妙で、よくぞよりによってここを……と唸りたくなる。加えて、その選択された場面場面で作中人物の目が「何を捉えるのか」の差配も見事。物語性の充実に背を向け、描写だけで読み手を引っぱる握力に脱帽した。
ただし最後の一編、『ハプワース16、1924年』だけは挑発的なほどに冗長で入っていけず、閉めだされたようなその疎外感がほんのり懐かしくもあった。
〈(本文八十一頁より)仲間といっしょにトラックのなかで、安全ストラップの上に座り、ジョージア州のすさまじい雨を避けながら、特殊部隊の中尉がくるのを待ち、腹をくくるときを待っている。腹くらい、いつでもくくってやる。トラックのなかには男が三十四人。だが、ダンスにいけるのは三十人だ。〉
子供の頃、大人たちが言う「人は死んでも皆の心の中で生きる」は、「死んだら星になる」と同じくらい嘘くさいと思っていたけれど、実際に周りの人たちがぽつぽつと死に始めるまで生きてみると、全然、嘘ではなかったのがわかる。死んでも人は生者の中に残る。時に、生きていた頃よりも生き生きと。
計十四話から成る短編集『さざなみのよる』には、ナスミという女性の死が彼女を取り巻く人々にもたらす、まさしくさざ波のような波紋がしっとりと描きだされている。まず冒頭の一話でナスミは死んでしまう。四十三歳。早すぎる。にもかかわらず、そこにあるのは穏やかにして潔い終焉だ。このような死に方をしたナスミはどう生きたのか――家族や知人たちを揺さぶる波を通じて、読み手は少しずつナスミを知っていく。もはやこの世にいない女性が、そこに留まり続ける人々の日々を彩っていく様が鮮やかで、あたたかい。
〈(本文八十九頁より)外は、普段と変わらぬ見なれた街で、そこに運命の縦糸と横糸が張りめぐらされているようには思えない。でも、目に見えなくとも、それはたしかにあるのだ。柔らかく編まれた毛糸のように、人と人とが、ゆるくかかわりながら、時には思わぬ展開を見せ、あらゆることがすすんでゆく。〉
一転し、『いまは、空しか見えない』は、生のど真ん中でもがく人々のタフな奮闘が胸に迫る連作短編集だ。力の暴力、言葉の暴力、性の暴力――私たちの日常では様々な理不尽が幅をきかせていて、ひとたびそれを受けいれてしまうと、そこから抜けだすのはとても難しい。それでも挫けずに日々を凌ぎつづける作中人物たちの、大なり小なりの突破を作者は気持ちよく描きだす。突破口は私たちの外側ではなく内側にある。それが高尚な思想や何かではなく、「大好きなホラー映画」であったりするのがリアルで面白い。
〈(本文三十七頁より)マットレスへ尻から落ちる瞬間、頭上の無数の星の光の輪郭が強まり、宇宙へほんの数センチ、近付いた気がした。血液が体中を駆け巡り、細胞の一つ一つが外へ向かって手を伸ばすように、縮こまっていた体が広がっていく。どこへだって行けると思った。〉
出典=文藝春秋2018年9月号
01.『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年』J・D・サリンジャー著 金原瑞人訳 新潮社 1500円+税
02.『さざなみのよる』木皿泉 河出書房新社 1400円+税
03.『いまは、空しか見えない』白尾悠 新潮社 1400円+税
04.『ののはな通信』三浦しをん KADOKAWA 1600円+税
05.『正しい女たち』千早茜 文藝春秋 1500円+税
06.『極夜行』角幡唯介 文藝春秋 1750円+税
07.『ラダックの星』中村安希 潮出版社 1700円+税
08.『孤独のワイン』イレーヌ・ネミロフスキー著 芝盛行訳 未知谷 2500円+税
09.『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』上間陽子 太田出版 1700円+税
10.『アメリカ大統領の権限とその限界 トランプ大統領はどこまでできるか』東京財団政策研究所監修 久保文明、阿川尚之、梅川健編 日本評論社 2700円+税