各章の終わりに必ず、「次はどうなるんだ」と思わせる“引き”がある。だから一度本を開いたら、もう止まらない。柚月裕子のミステリー長篇『盤上の向日葵』は、謎解きの醍醐味に加えて様々な人間ドラマを巧みな構成で盛り込み、読み手の心をがっちりつかんで離さない。
平成六年、山形県天童市。注目の若手棋士同士による対局の会場に二人の刑事がやってくる。理由は何か。
約四か月前、埼玉県の山中で身元不明の白骨死体が発見された。一緒に埋められていたのは名匠作の伝説の将棋駒。かつて棋士を目指していた佐野巡査は、県警捜査一課のベテラン刑事、石破と組んで駒の持ち主をつきとめるべく、地べたを這うような捜査を進める。
同時に進行するのは昭和四十六年から始まる一人の少年、桂介の物語だ。長野県諏訪市に暮らす彼は幼いうちに母を亡くし、父親からは虐待を受けて育った。彼を気にかけていた元教師がその人並みならぬ将棋の才能に気づき、東京へ出てプロを目指すよう助言するが、桂介は父親の支配から逃れられない――。
刑事たちと少年、それぞれの物語がやがて冒頭の天童市の場面に繋がることは読者だって分かっている。だが、なぜそこに繋がるのかがなかなか見えてこない。死体となって発見されたのは誰か。なぜ名駒も一緒に埋められていたのか。それらと天才棋士には、どういう関係があるのか。少しずつ事実が明らかになるが、その情報の小出し感が心憎いまでに巧く、緊張感を持続させる。といっても先を急がせるのではなく、各章何気ないエピソードでこちらを引きこむ。虐待親から飴玉をもらった時に少年が見せる明るい表情。大阪の不動産屋の女性事務員の、なんともリアルなお喋り。かつて駒を所有していた人々が吐露する奥深い人生模様。もちろん、将棋の世界が丁寧に描かれるのも大きな魅力。プロ棋士だけでなく、金を賭ける真剣師たちの勝負も迫力満点だ。
それにしてもこの著者、推理作家協会賞受賞作の『孤狼の血』もそうだったが、頭は切れるものの態度が下品、という年配男を書くのがどうしてこんなに上手いのか。部下に対してワガママ三昧の叩き上げ刑事の石破、桂介と親しくなる裏社会の真剣師・東明重慶(しげよし)、そして息子の人生を搾取しようとする桂介の父親。彼らの生臭さが実感として伝わってくるからこそ、終盤にようやく明かされる真実には打ちのめされてしまう。得意技を炸裂させつつ、ここまでの重厚なドラマを完走させるとは。柚月裕子の凄みを改めて知る力作だ。
ゆづきゆうこ/1968年、岩手県生まれ。2008年『臨床真理』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞しデビュー。13年『検事の本懐』で大藪春彦賞、16年『孤狼の血』で日本推理作家協会賞を受賞。近著に『合理的にあり得ない』『あしたの君へ』など。
たきいあさよ/1970年生まれ。ライター。作家インタビューや書評を多く手がける。著書に『偏愛読書トライアングル』(新潮社)。