三重県志摩市の渡鹿野島は、かつて「売春島」と呼ばれていた。人口わずか200人ほどのこの離島で、1980年代には置屋十数軒、ホテルや旅館が10軒ほどが営業し、「島民すべての生活が売春業を軸に成り立っていた」という。

「売春島」と呼ばれた渡鹿野島(著者提供)

 元ヤクザで島で内装職人をしていた佐津間充さん(仮名)の証言から、その知られざる実態が明らかになった。ノンフィクションライター・高木瑞穂氏の新刊『ルポ 風俗の誕生』(清談社Publico)のダイジェスト版をお届けする。

江戸時代から続く「売春の歴史」

 渡鹿野島の売春の歴史は江戸時代にまで遡る。この島は「風待ち港」として機能しており、帆船で物資を運搬していた時代、船員たちは目的地に向かうための風を待ちながら島に停泊していた。

ADVERTISEMENT

 1949年に出版された『志摩鳥羽の茶話』には、江戸時代から明治30年代頃まで鳥羽で名物であった「走りがね」について記されている。走りがねとは船人相手の女郎のことで、売春の他に船の帆や船員の衣服を縫う仕事も担っていた。

 佐津間さんによると、1983年当時の島では「ショート(60分)2万円、ロング(夜11時から翌朝まで)は4万円。置屋ではなく、女の子の部屋でする。これがこの島での売春のシステム」だったという。夕方のメイン通りには「ポン引きから娼婦から客からもう、まっすぐ歩けんほどいっぱいおりました」と当時の賑わいを振り返る。

 しかし、2000年代以降は売春島からの脱却が進められ、2016年の伊勢志摩サミット開催時には置屋群が営業自粛を余儀なくされた。現在は多くの宿泊施設が廃業し、置屋も数軒を残すのみとなっている。かつての「売春島」は、時代の流れとともにその姿を大きく変えている。

◆◆◆

 売春島に訪れた人間は「いくら」で「何ができる」のか…この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。

次のページ 写真ページはこちら