新宿駅から徒歩圏内、交通の便に恵まれた新宿区富久町・西富久地区。この“都心の一等地”ともいえるエリアは、かつてバブル期に地上げの標的となったことがある。地上げ屋たちが押し寄せて住民たちが翻弄された結果、バブル崩壊後に一帯は虫食い地となり放置され、「再生不能の町」とまでささやかれた。
その後、立ち上がった住民が主導した20年にわたる再開発ののち、タワーマンションに加えてスーパーマーケットの屋上に戸建て住宅がずらりと並ぶ、まるで“空中住宅街”のような不思議な光景が2015年にできあがった。
地上げに翻弄された当時、同地で蕎麦屋「いさ美庵」を営んでいた笹野亨さん(82歳)は、「地上げってのはね、まちも人の心も壊す」と振り返る。
ジュラルミンケースを持った地上げ屋が、町中をうろついていた
かつての西富久地区は、狭い路地でご近所さんが立ち話をするような、人情あふれる町だった。しかし1987(昭和62)年ごろ、その平穏は突如として破られる。ジュラルミンケースを持った地上げ屋たちが町をうろつき始めたのだ。笹野さんの店にも、客を装った地上げ屋が訪れたという。
「地上げ屋は住民に『金額を言わないで』って言っていたみたいだね。坪500万と言われた人もいれば、坪3000万と言われた人もいた」と笹野さんは語る。自身も売却を打診された。
「最初来たときは坪700万~800万、その次に来たときは1000万円、その次は1500万円出すから売ってくださいって。いちばん高値で言われたのは、坪3000万円、全部で10億だったからね」
誰がいくらで売ったのか、誰がまだ売っていないのか。金額を口止めされた住民たちは疑心暗鬼になっていった。
「私は売りませんから」と言っていた人が、次の日には消えていた
毎週のように誰かが町を去り、290世帯あった家は100世帯近くまで減少した。「『私は売りませんから、お蕎麦屋さん、売らないでね、絶対売らないでね』って言ってきた人が次の日にいなくなっちゃうんですよ」という笹野さんの言葉は、コミュニティが内側から崩壊していく様を物語っている。
やがてバブルが崩壊すると、地上げの資金は途絶える。土地を買い集める動きは止まり、買い占めが中途半端に終わった町は、空き地や駐車場が点在する「虫食い地」として放置された。複雑な権利関係から「再生不能の町」と呼ばれ、不良債権と化した土地で、残された住民たちは再生の手立てを模索することになる。
出口の見えない状況に転機が訪れたのは1996(平成8)年。NHKの番組で窮状が報じられたことがきっかけだった。放送の反響は大きく、同じ新宿区にある早稲田大学の研究者、増田由子さんから支援の申し出が入る。住民が主体となった、20年にわたる前例のない再開発への道が、ここから始まっていく――。
相次ぐ不審火や近隣の店にダンプカーが突っ込むなど、笹野さんや増田さんが振り返る「当時の地上げの恐怖」や、“再生不能の街”がどのように再生したのかなどについて、詳細は下記の記事からお読みいただけます。

