新宿駅の東口から繁華街を抜けて靖国通りへ出る。東へ15分ほど歩き、路地に入ると、目の前に大きな空が広がった。ここは新宿区富久町・西富久地区。新宿駅から歩ける距離で、地下鉄3駅が最寄りという交通の便にも恵まれた地だ。今でこそ「新宿区」とは思えないほどゆったりとした空気に包まれているが、かつて地上げによって崩壊の危機にさらされた歴史がある。人が減り「再生不能」とまで囁かれた。
この街、時折話題になることがある。というのも、地域住民の買い物拠点である「ヨークフーズ with ザ・ガーデン自由が丘 新宿富久店」の屋上には、世にも奇妙なペントハウス群が存在しているのだ。
「スーパーの屋上に戸建て住宅が並ぶ」という不思議な光景は、一帯の再開発で生まれた。そしてこの地は、日本で例のない「住民が主導して行った再開発」として知られている。2015年の完成から10年がたち11年目の今、キーパーソンを訪ねながら地上げに翻弄された歴史を振り返る。(全3回の1回目/続きを読む)
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焼け野原になった戦後、狭小家屋が立ち並んだ「新宿の村」
「話せば夜通しかかるよ。合宿しないと」と屋上の戸建てで暮らす笹野亨さんは笑う。
現在82歳、新宿に暮らして55年超になる。再開発前は西富久の角地で蕎麦屋「いさ美庵」を営み、店と出前で町を知り尽くしていた人である。「西富久地区市街地再開発組合」では理事長を務め、まちの再生の立役者だ。
富久町は、永井荷風や小泉八雲が居宅を設けた歴史ある町だ。空襲で新宿一帯は大きな被害を受け、戦後、西富久周辺では応急的な住まいが増えた。宅地の細分化も進み、やがて狭小な敷地に木造家屋の密集する町となる。
「ここは『富久村』なんて呼ばれるぐらい開けていなかった町だったんですよ。小さい家がいっぱいあってね。私がここへ来たのは昭和45年の12月で、その頃から靖国通り沿いにビルが建ち出しました」


