新宿のど真ん中に位置する富久町・西富久地区。かつてバブル期の地上げで虫食い地となり、一時期は“再生不能の町”とまで呼ばれたが、20年にわたる再開発によって町は生まれ変わった。新しい街には、スーパーの屋上に三角屋根の戸建て住宅が22軒ずらりと並ぶ、さながら“空中住宅街”とも呼ぶべき不思議な光景が広がっている。
足を踏み入れると迷路のような路地があり、植栽が美しく映える。人工地盤の地上3階という場所だが、建物や路地、植栽の構成から、歩いていると地面に立っているような気分になる。住宅以外にもベンチや広場が点在し、住民たちがおしゃべりを楽しむ。住んでいるのは、長くこの地で暮らしてきた人たちだ。
いったいなぜ、このような不思議な町が誕生したのか。現地を訪ねその軌跡をたどる。(全3回の3回目/最初から読む)
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再生不能の町は、どのように復活を遂げたのか?
1990年代後半の新宿区富久町、西富久地区。以前は狭小住宅がひしめき、住民同士が路地で立ち話をするなど、人と人との距離が近い“人情の町”だった。しかしバブル期に地上げ屋が襲来し、乱雑に土地を買い漁った。町は虫食いの状態となり、いつしか“再生不能の町”と呼ばれるようになってしまった。
地区の角地で蕎麦屋「いさ美庵」を営んでいた笹野亨さん(82歳)は、町会の副会長を務めており、荒廃した町をなんとかしようと、奮闘していた。
行政や民間企業にかけあうが、対応は冷ややかだったという。
「『バブルの傷を持ってこられても困る』とか言われてね。剣もほろろでした」
転機は1996(平成8)年、NHKの番組『新日本探訪』で西富久の現状が放送されたこと。

