国土庁長官が自ら現地視察に

 その後もNHKやテレビ朝日『ニュースステーション』など、テレビや新聞、雑誌で取り上げられ、少しずつ風向きが変わっていく。笹野さんは「マスコミの人の応援がなければね、なかなかできなかったですよ」と振り返る。

 1997(平成9)年5月、活動は大きく前進する。伊藤公介国土庁長官(当時)が西富久を現地視察したのだ。

「この写真は国土庁長官が視察にいらしたときです。伊藤さんが来てから話が進んでね。国も、富久のことを考えてくれているのかなって思いましたよね」

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視察のときの写真。左が伊藤公介国土庁長官

 そう語るのは、当時早稲田大学理工学総合研究センターに所属し、西富久の支援をしていた増田由子さんだ。2000年9月からは総合コーディネーターとして再開発に参画。まちづくり研究所を立ち上げ、再開発における具体的な事業推進に尽力した人である。

当時、早稲田大学に所属しており再開発に協力した増田由子さん。当時の資料を見ながら笹野さんと、再開発の思い出を語ってくれた

 1997年6月には、早稲田大学・尾島研究室の支援の下で「西富久まちづくり組合」が結成された。西富久町会員115人のうち98人が加入している。

“再生不能の町”に、いつしか仲間が増えていった

 再開発の青写真を描くに当たり、増田さんは住民にアンケートをとりヒアリングを重ねた。町をまわって現状を把握し、勉強会も実施。一方で、地上げによる未払金や税金をなんとかできないかと組合では住宅金融債権管理機構に相談するなど動きを見せた。1997年7月には、増田さんも同行して東京都と新宿区に陳情を行い、まちづくりを進めていく。 

町内会での勉強会の様子。会合はお寿司屋さんの2階や、休憩中の笹野さんのお店で行っていた

 住民は都市開発のノウハウなど、もちろん持っていない。増田さんは専門的な立場から助言し、住民と一緒にプロジェクトを進めた。細かなプランを立て、「自分たちはこういうまちにしたい」という“絵”を描く。この“絵”がないと行政や民間企業にかけあうことは難しい。

「私らは絵は描けない。絵ができたのは早稲田大学が入ってきてくれたから」と笹野さんは大学との出会いを噛み締める。

「これ、模型なんですよ。東急ハンズで材料を買って学生たちと作ったんです」と増田さんは写真を見せてくれた。研究室の学生も西富久のまちづくりに参加し、実測調査やプランの検討、模型制作などで関わった。

「学生さんがいっぱい来てくれてね。みんないい子たちでしたよね」と笹野さんの奥さんの惠美子さんも懐かしがる。

「実測調査の後、笹野さんがお蕎麦を作ってくださってね。学生たちは笹野さんのお蕎麦が楽しみで、卵とじのお蕎麦が美味しかったって言っていましたよ。学生にとって西富久のまちづくりは勉強になったと思います」(増田さん)

 学生は富受稲荷のお祭りも手伝い、町のコミュニティに入って関わった。“再生不能”と見なされた西富久には、いつしかたくさんの応援団が集まっていた。