新宿駅から徒歩15分ほど、新宿区富久町・西富久地区はかつて狭小物件が立ち並び、地域コミュニティがあり人情あふれる町だった。しかしバブル期に地上げ屋たちが押し寄せて住民たちは翻弄された。バブル崩壊後、一帯は虫食い地となり放置され、「再生不能」とまでささやかれた。
その後、住民が立ち上がり、20年にわたって再開発が行われた。2015年にタワーマンションに加え、スーパーマーケットの屋上にペントハウス群が並ぶユニークな町ができあがった。以前、この地域で蕎麦屋「いさ美庵」を営んでいた、再開発の立役者である笹野亨さん(82歳)と、当時早稲田大学で研究員をしていた増田由子さんに地上げの恐怖や、これまでを振り返ってもらった。(全3回の2回目/続きを読む)
◆◆◆
地上げ屋に金額を口止めされ、住民たちは疑心暗鬼に
町に異変が起き始めたのは、1987(昭和62)年ごろ。笹野さんの店にも客として地上げ屋が訪れていた。
「地上げ屋は住民に『金額を言わないで』って言っていたみたいだね。坪500万と言われた人もいれば坪3000万と言われた人もいて、そのギャップはすごいですよ。地上げ屋は金額を知られたくないし、売る方は少しでも高く売りたいし」
売るか売らないか。誰が立ち退き、誰が残るのか。売るならできるだけ高値にしたい。目の前で札束を見せられたら、町に愛着があっても心が揺らぐこともあるだろう。
毎週のように誰かが引っ越し、「売らない」と言っていた人が前触れもなく転居する。290世帯あった家は 100世帯近くにまで減った。
「地上げってのはね、まちも人の心も壊す。だって『私は売りませんから、お蕎麦屋さん、売らないでね、絶対売らないでね』って言ってきた人が次の日にいなくなっちゃうんですよ。町からいなくなっちゃうの」

