「3回放火された家も」「ダンプカーが店に突っ込んで…」住民が振り返る地上げの恐ろしさ

 町では放火や不審な失火がたびたび起こった。住民たちの守り神でもあり「お稲荷さん」と呼ばれ親しまれていた富受稲荷では賽銭泥棒も頻発した。

「近くの曙橋では、ダンプカーがお店に突っ込んで店をつぶしちゃったこともありました。ここは路地が多いでしょう。大きな車は入ってこられないのでそこまで恐ろしいことはなかったんですけど、放火は何件もありましたよ。町内では3回放火された家もありました。今の人には信じられないでしょうけど、実際そういうことが起こっていたんですよ」

長く富久町で暮らす笹野さんからは、周辺で起こった歴史的な事件の話題も飛び出した

 空き家が増えてそこにどこからともなく人が棲みつき、ときには人が死んでいたこともあったという。治安は悪化し、安心して生活が営めない町に変貌した。

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「お金が支払われていない」バブル崩壊で地上げのメッキがはがれだす

 やがて時代は昭和から平成へと移り変わり、バブル景気に翳りが出てくる。

 1989(平成元)年末に最高値をつけた日経平均株価は、その後大きく値を下げた。1990(平成2)年春には、土地の投機を抑えるために総量規制が入り、銀行の融資が厳しくなって金利が上がった。お金が回りにくくなると土地を買い集める動きは弱まり、地上げの資金が途切れていく。

 ちょうどその頃から、「約束したお金が支払われていない」といった話が少しずつ聞こえてくるようになったという。

「お金を一部しかもらっていないけど名義変更をしてしまったという人が何人もいることがわかって、これは大変だと思ったんです」

 笹野さんは、当時「西富久町会」の副会長だったこともあって、会長とともに救済組織を立ち上げることに。一方で地上げは1994(平成6)年ごろまで形を変えて続き、海外から土地を見に来る人もいた。