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「ゴツい人に肩を持たれて、外へつまみ出されちゃった」
こんなエピソードもある。
不動産会社コリンズは買い占めた土地にビルを建設することになり、ある日、近くのホテルで説明会を開いた。笹野さんは会長の代理で、蕎麦屋の営業を終えて少し遅れて参加した。ホテルの会議室には25人ほどの顔なじみの住民が集まっていた。
「話を聞いていたら、ちょっとかみ合わないんです。向こうの専務が『この中で再開発に反対している人はいますか?』って質問をしたんです。私、いつも会っている人ばっかだし、もちろん全員反対だと思って、元気よく『はーい、反対です!』って手を挙げたの。そうしたらさ、私ひとりだけ。両方からゴツい人に肩を持たれて、外へつまみ出されちゃった」
そんな出来事があっても、笹野さんの「売らない」という姿勢は一貫していた。喧嘩も絶対にしない。笹野さんには「蕎麦屋の暖簾」があるから。「お店をやっていたからね。喧嘩はやらない。やっても弱いだろうというのもあるでしょう」と話す。
再開発が進まず「再生不能の町」として土地が不良債権化
町のシンボルであるお稲荷さんは権利者が多数いたため、地上げの波は祠の前でストップする。一帯の買収が実現しなかった町は空き地と駐車場が点在する「虫食い」状態となり、そのまま放置されてしまう。
土地は不良債権となり、権利関係の複雑さから一時期は「再生不能の町」とまでいわれるように。「愛着のある町で暮らし続けたい」という住民らは、再生の手立てを模索していた。
そんな西富久に、1996(平成8)年、一つの転機が訪れる。
