疑われたのは25歳の無職男性

 捜査が遅々として進まないなか、警察は1人の男に疑惑の目を向ける。まさに、警察犬が足を止めた付近に居を構えていた那須家の二男・隆さん(同25歳)。1943年に東奥義塾(現・東奥義塾高等学校)を卒業後、満州国興安総省の開拓団指導員や青森県通信警察官としても働いていたが、戦後の1946年に通信警察官制度が廃止されて以降は定職に就けず、事件当時は無職。

 ただ、警察官に復職したいという強い思いから、事件の一報を聞くや現場に駆けつけ自主的に聞き込みを行ったり、自転車で走り回っては不審人物を捜索し警察に通報、また自宅の周辺から血痕や凶器を発見しようとするなど懸命に捜査協力していた。

 しかし、皮肉なことに、その熱心さが仇となる。那須さんが持ち込む情報が的外れなものばかりだったことから、自分の犯行を隠すため、わざと他人を犯人視しようとしているのではないかと疑われたのだ。

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 さらに、那須家付近から被害者すず子さんのものと同じB型の血痕らしきものが発見されたことも疑惑を深めていた。しかし、当時は確たる物的証拠を起訴条件に定めた新刑事訴訟法が施行(1949年1月1日)されたばかり。警察は那須さんを容疑者として扱うに十分な決め手を持っていなかった。

 事態が動くのは8月21日夕方のこと。那須さんが高校時代の後輩の家に預けていた白いリンネル製のズック靴を警察が押収した。これを青森市内の内科・小児科開業医である松木明(1930‒1981)に鑑定させ、「被害者と同じB型の血液が付着している」という回答を得たことで、翌22日、那須さんに任意同行を求め、その際、彼が着ていた海軍用の白い開襟シャツも押収する。

 同日19時50分、警察は殺人容疑で那須さんを逮捕。自白を得るべく強引な取り調べを行う。弁護士との接見は一切禁止、トイレにもろくに行かせず、さらには殴る蹴るの暴行。特に警察が追及したのが事件当夜のアリバイである。那須容疑者の供述は「友人と会っていた」「外出していた」など二転三転し、最終的に「自宅にいて近所の住民が氷を削る音を聞いていた」としたが、当該の住民はこの供述を否定する。