「真犯人が名乗り出ました」――1本の電話が、28年越しの闇を切り裂いた。戦後青森で起きた大学教授夫人殺害事件。捜査協力者だった25歳の青年は“血液鑑定”と目撃証言で犯人に仕立てられ、15年の実刑判決を受ける。

 だが、時効後に現れたある男の告白が、有罪判決を揺るがしていく。事件のその後を、新刊『世界で起きた恐怖の冤罪ミステリー35』(鉄人社)より抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編から読む

写真はイメージ ©getty

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警察の杜撰な捜査

 警察が逮捕に踏み切ったズック靴の鑑定にも問題があった。当時の人血鑑定は少なくとも1日を要するとされていたが、前出の松木医師が鑑定に費やした時間はわずか2時間。また、当初は血痕は被害者と同じB型と断定していたにもかかわらず、後に「血液型の判定は試料不足のため不可能だった」と自身の鑑定を撤回している。

 さらに、警察は旧制青森医専の法医学教授・引田一雄にもズック靴の鑑定を依頼しているが、その結果は「血痕は一切認められない」というもので、その後の国家地方警察の科学捜査研究所による鑑定結果も全く同じだった。

 そこで、警察は改めて松木医師に開襟シャツの鑑定を依頼。市警の鑑識官とともに行われたその鑑定で「被害者と同じB型の複数の血痕が発見された」という驚くべき結果が出る。これは、一度逮捕した那須さんをどうしても犯人としたい捜査機関が意図的に血痕を付着させたとの見方が強い。実際、松木の共同鑑定人となった市警鑑識官は、鑑定直後に「那須はシロだ」と知人に漏らしている。鑑識官によれば、白シャツに付着していた斑痕は飛沫痕の特徴である星型痕ではなく、中央に膨らみを持つ「駒込ピペット」で垂らしたような洋梨型だったという。また、人血鑑定には抗人血清沈降素や遠心分離機などが必要であるにもかかわらず、当時の松木医院には「試験管が5、6本」しかなかったそうだ。