それでも弁護団はあきらめず、同年12月、仙台高裁に異議を申し立てる。そしてその半年後、思わぬ形で転機が訪れる。1975年5月、白鳥事件(1952年1月に北海道札幌市、道警の白鳥一雄警部が日本共産党員に射殺されたとする事件)の再審請求審で最高裁は請求を退けたものの、その際に再審開始に要する条件として「確定判決に合理的な疑いがあれば十分」「『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判における鉄則が適用される」と、その基準を大幅に引き下げる判断を下したのだ。
この通称「白鳥決定」を受けて、弁護側は本事件の再審請求にも「滝谷の告白や発見された井戸の存在は有罪判決への重大な疑問を示している」として仙台高裁に補充書を提出。結果、同高裁は1976年7月、再審開始の決定を下す。
ついに無罪に
2ヶ月後の9月28日から始まった再審で、検察側は「滝谷の告白は虚偽」「血液再鑑定の結果に関して弁護側に都合の良い部分だけを切り取っている」と、あくまで那須さんが犯人だったことに固執した。が、仙台高裁は1977年2月15日の判決公判で、那須さんに無罪を宣告する。
判決文では〈本件一切の証拠を確認しても、本件が被告人の犯行であることを認めるに足る証拠は何一つ存在しない〉と明言。さらには〈血痕は押収された当時から付着していなかった疑いがある〉と捜査機関による証拠の捏造まで示唆し〈本件の真犯人は滝谷である〉と断言した。
その理由として〈本件と全く関わりのない人間(滝谷)がこれほど微細な点まで客観的証拠と合致する供述をすることは不可能〉と説明した。ちなみに、弁護側の証人として法廷に呼ばれた当の滝谷は「1日も早く那須さんを無罪にしてほしい」と涙ながらに述べている。