なぜ「自白」を?

 弘前大学医学部付属病院看護婦寮への侵入で現行犯逮捕されたのが1ヶ月後の9月3日。拘置所では那須さんとも挨拶を交わしたことがあり、彼が自分の罪を被らされていることも知っていたが、すず子さん殺害について聞かれた際は死刑を恐れ頑固に容疑を否認。以降、強姦致傷罪や強盗傷人罪などで逮捕されては塀の内外を出入りし、最終的に宮城刑務所へ。

 ここでキリスト教への傾倒をきっかけに、自分が罪を背負わせた那須さんについての自責の念にも駆られ始めたものの、かつての事件について公訴時効が成立しているか確信が持てなかったため、告白を躊躇。

 やがて自身の仮釈放が迫っていた1971年3月、自分を含めた数人の受刑者で数ヶ月前に発生した三島事件(1970年11月25日、作家の三島由紀夫が自身の主宰する『楯の会』メンバーと陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、憲法改正のため自衛隊員に決起を呼びかけた後に割腹自殺をした事件)の話になり、大半が三島の男気を讃え、逆に女性を狙った犯罪を繰り返してきた自分を非難したため、思わず自身が過去に殺人を犯し、その罪を他人に着せて逃れたことを口にしたそうだ。

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三島由紀夫 ©getty

 その場にいた受刑者の多くはこれを単なる虚勢ととらえ相手にしなかったが、猥褻図画販売罪で服役し同じく仮釈放寸前だった前出の村山だけが興味を示したという。