冤罪被害者に支払われた金額は…
2週間後の2月28日、検察が上告を断念したことで無罪確定。こうして事件から28年の時を経て身の潔白を明らかにした那須さんは、冤罪によって奪われた時間、背負わされた苦痛への賠償として、自分、9人の家族、亡くなった父親に対して総額9千759万5千900円を支払うよう求め、青森地裁弘前支部に国家賠償請求訴訟を提起する。
対して、同地裁は1981年4月27日、「那須さんを犯人と見るべき証拠が何一つない状況で起訴に踏み切った一審検察官には注意義務違反の違法がある」としながらも、捜査機関の不法行為や裁判所の判断の誤りは認めず、結果として那須さん個人にのみ拘禁中の逸失利益272万9千201円に精神的苦痛を慰謝するための2千万円と弁護費用の87万円を加え、そこからすでに支払い済みの刑事補償額の1千399万6千800万円を差し引いた960万2千401円を支払うよう命じた。
「いかに国家権力が強大であるか思い知らされた」
対して、那須さんは捜査機関や裁判所の過失、親族に対する賠償が認められなかったことなどを不服として控訴したが、仙台高裁は1986年11月28日の判決で、那須さん側の主張を全て退けたばかりか、一審で認められていた「検察側の過失責任」も否定。さらには「有罪判決を避けられなかったのは弁護側に責任がある」とまで付け加えた。1990年7月20日、最高裁も上告を棄却。
結果的に逆転全面敗訴となった那須さんはメディアに対して「個人の権利は無防備なのに、国の責任は何重にもガードされている。いかに国家権力が強大であるか思い知らされた。岩を素手で叩いたようだ」と絶望感を顕にした。
那須さんは再審請求で無罪を勝ち取った後、札幌市内の会社に就職(後に青森県つがる市内に転勤)する一方、冤罪の撲滅や国家賠償法の改正を求めて講演活動も行ったが、晩年はあまり冤罪のことは思い出したくない様子で、静かに読書をしていることが多かったという。亡くなったのは2008年(平成20年)1月24日。冤罪に翻弄された84年の人生だった。