夫妻が信頼し、可愛がっていた17歳の住み込み家政婦が、生後5ヶ月の長男を浴槽に沈めた――。動機は身勝手な嫉妬だった。なぜ心は凶行へと傾いたのか。そして事件は、高島夫妻の人生にどんな影を落としたのか。
昭和39年に起きた「高島忠夫長男殺害事件」のその後を、鉄人社刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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なぜ愛する息子を殺したのか
犯行動機は身勝手な嫉妬だった。
Aは新潟県佐渡島出身で、中学卒業後、集団就職で上京。墨田区内で工員として働いていたが工場の移転で職を失い、たまたま知人に高島さんの知り合いがいたことから、そのツテを頼り、1963年末ごろより高島家に住み込みで家政婦の仕事をするようになった。
宝塚時代から寿美さんの大ファンで、Aにとっては想像もしなかった夢のような職場。ために、故郷で「異例の出世」「スターの世界で働いている憧れの女性」として噂になり、本人も周囲に自分の仕事や高島夫妻のことを自慢気に語っていたという。
もともと、彼女の仕事は高島家の家事を手伝うことだったが、働き始めてまもなく寿美さんが妊娠したことにより、高島さんの世話を全面的に担うことになる。その献身的な仕事ぶりから夫婦に可愛がられ、信頼も厚かったAは、やがて高島家の家事全体を取り仕切るようになり、出産後、女優業に復帰した寿美さんに代わって、生まれたばかりの道夫ちゃんの世話もしていた。さらに、事件が起きる2ヶ月前の6月には付き人として高島さんの芸術座での公演にも同行。公演終了後には高島さんからお礼として高級な食事をご馳走になり、ブランド品もプレゼントされたという。
しかし、夢のような時間は2ヶ月で終わる。Aが高島さんの付き人として家を空けることが多くなったため、高島家では新たに遠縁のCを家政婦として、また寿美さんが仕事で留守にする際などに道夫ちゃんを任せるベビーシッターとして看護師Kを新たに迎え入れた。
Kは大学病院での勤務経験もあり、息子の世話だけではなく病気や怪我の対応も任せられる頼もしい存在。給与はAの3倍という破格の待遇だった。
Aは焦った。
