道夫ちゃんがいなくなったら、世話係の看護師も高島家にいる理由がなくなり解雇される。そうすれば夫妻は再び自分を頼って、前のように可愛がってくれるに違いない。気がつけば、道夫ちゃんをバスタブに沈めていた。

 一瞬我に返ったものの「ここで止めたら自分がやったことがバレてしまう」という恐怖心から、そのまま溺死させてしまう。そして、強盗が物色したかのように室内を荒らす小細工を施した後、道夫ちゃんがいなくなったと騒ぎ始めたのである。

家政婦Aはその後…

 殺人罪で逮捕・起訴されたAは、当時未成年だったにもかかわらず、成人と同じ刑事裁判を受け1965年6月に東京地裁で懲役3年から5年の不定期刑を言い渡された。模範囚だったことから1968年には仮出所し、2年後に事件のことを知ったうえで結婚を申し込んでくれたという男性と夫婦となり、子供も授かった。また、出所後にはマスコミの取材にも応じ、次のように語っている。

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「高島さんに詫びる気持ちは生涯変わりません。(命日には)道夫ちゃんの写真の前に花やお菓子を添えて深くお詫びしています。これだけは一生欠かしません。道夫ちゃん、高島さん、奥さま、本当にごめんなさい」

 一方、高島夫妻の悲しみは途方もないものだった。事件翌日に通夜が行われ、記者会見も開かれたが、第一発見者となった寿美さんはショックで欠席。会見には悲痛な面持ちの高島さんだけが臨んだ。