33歳のとき、10万人に1人の難病「脳動静脈奇形」を発症した、俳優の間瀬翔太さん(40)。

 手術は無事成功したものの、半年後にお風呂場で意識を失って倒れたことをきっかけに後遺症のてんかんが発覚。さらに病気が原因で仕事も失い、居場所を失う恐怖にも襲われていた。

 加えて記憶障害も発症し、友人の顔を忘れてしまうこともあるという生活の苦労について話を聞いた(全3回の2回目)。

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明るい光を浴びると倒れてしまうことがあるので、サングラスは手放せない ©文藝春秋 撮影・榎本麻美

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——開頭手術ですし、術後も大変だったのではないでしょうか。

間瀬 手術は成功して当日はそれほどではなかったんですけど、2日目からまるで殴られたみたいに尋常じゃないレベルで顔が腫れました。

 痛み止めを上限まで打ってもらっても痛くて眠れないんです。骨の内側が痛む感じが1日中続いていて、先生に「もう一度頭を開けてほしい」と頼んだこともあります。それが4日間くらい続きました。

——退院にはどれくらいかかったのでしょう。

間瀬 頭痛がする中でも手術の翌日から4歩先のトイレまで行く練習を始めて、3日目には1人でトイレにも行けました。退院の予定は1カ月くらいだったんですが、結局2週間ちょっとで退院しました。

——手術の大きさから考えるとかなり早いのでは?

手術後、左目の周りなどが腫れて頭痛に苦しめられることに

間瀬 手術翌日のリハビリなんて本当はダメなんですけど、早く退院したくて、看護師さんにもバレないようにこっそり練習していました。

 ただ退院はしたものの手術で体力が落ちていて、家の階段は這うようにのぼってましたし、外へ出ようにも玄関の引き戸を開けるだけで息切れしてしまう状態で、これ戻るのかな? としばらくは不安でしたね。

「死んじゃおうかなって思うこともありました」

——そんなにも急いだのは、やはり仕事のことがあったのでしょうか。

間瀬 そうですね。倒れた時にあった一番大きな案件は諦めたんですけど、他の仕事もどんどんなくなっていって焦ってました。病気を公表したらスタッフさんは「無理しなくていいよ」とは言ってくれるんですけど、自分としては仕事がなくなる方が怖くて。

 人に見られる仕事は手術の傷もあるから仕方がないのかな、と当時は諦めることも出来たんですが、人前に出ず、喋りだけで成立するはずのラジオ番組までも、レギュラーから外れていったときはもう、目の前が真っ暗になりました。

——フリーランスで仕事を失うのは本当に怖いですよね。

間瀬 業務連携していた事務所との契約も打ち切りになりました。仕事はなくなるし、友達が集まる会に行こうとしたら「体調が戻ったらまたね」とやんわり断られることもありました。

 せっかく手術を乗り越えたのに、居場所がどんどん減って目の前が真っ暗になる感覚で……死んじゃおうかなって思うこともありました。