ロサンゼルス・ドジャースと12年総額3億2500万ドル(約465億円)という巨大契約を結び、名実ともに世界トップクラスの投手となった山本由伸。

 しかし、彼が中学時代を過ごした「東岡山ボーイズ」の恩師は、「ヨシがプロになるなんて、誰も思わなかったはずですよ」と振り返る。当時の山本は小柄でユニホームはブカブカ。決して目立つエリートではなかった野球少年は、いかにしてメジャーの舞台へと登り詰めたのか『証言 山本由伸』(宝島社)の一部を抜粋し、恩師が明かす、かつての山本由伸の姿を紹介する。

©︎文藝春秋

◆◆◆

ADVERTISEMENT

「サボりの天才」だったヨシ

 12年前、山本由伸は中学生の硬式野球チーム「東岡山ボーイズ」を卒団している。夏場は太陽が照りつけ、冬場は強風が吹きつける河川敷のグラウンドでプレーしていた。山本の在籍当時から今も監督を務めるのは、56歳の中田規彰だ。入団当時の山本のことを中田はよく覚えているという。

「ヨシ(山本由伸)は、とにかく細かったです。体が大きくなるのを見越してユニホームを買ったんでしょうけど、ブカブカでしたね。半袖なのに、ヒジくらいまで隠れていましたから」

 将来、メジャーリーガーになる片鱗は感じられたのか? そう尋ねても、中田は苦笑交じりに首をひねるだけだった。

「気づかなかったですねぇ。今までヨシよりすごいと思った選手はたくさんいましたから。社会人野球で活躍して監督までなった子や、甲子園に4回も出た子、斎藤佑樹(元日本ハム)から甲子園のバックスクリーンに放り込んだ子もいました。ヨシがプロになるなんて、誰も思わなかったはずですよ」

 岡山県備前市出身の山本は、岡山市にある東岡山ボーイズのグラウンドまで車で通っていた。送迎するのはいつも母の由美さんだった。中田は「明るく、しゃきしゃきしたお母さんでした」と語る。

 小学生時に所属した「伊部パワフルズ」では、山本は主に捕手としてプレーしていた。ところが、東岡山ボーイズに入団した山本は、自分の意思で二塁を守っていたという。中田は「与一への憧れがあったのかも」と推察する。

 中田の言う「与一」とは、山本の1学年先輩である石原与一のこと。伊部パワフルズでもチームメートで、山本は与一を慕っていた。中田は与一の人間性を高く評価する。

「与一は内野を守っていて、練習には真面目に取り組むし、リーダシップもある子でした。ヨシとは小学生の頃から仲がよかったみたいですね」

 誰もが認めるチームリーダーだった与一に対し、山本の練習に取り組む姿勢は疑問符がついていたという。中田は「サボりの天才です」と評する。