山本の要領のよさが発揮された“ある練習”

 冬になると、東岡山ボーイズでは外野のポール間をダッシュで往復する定番メニューが組まれる。このポール間走で、山本の要領のよさが発揮されたと中田は明かす。

「制限タイムは1分なんですけど、ヨシの足の速さなら50秒でいけるはずなんです。でも、いつも59秒とかギリギリでゴールする。コーチたちが『もっと行け~!』とハッパをかけても、絶対に全力で走らない。でも、制限タイムはクリアしているから、こちらも怒るに怒れないんですよ」

 当時から運動能力は優れていた。だが、指導陣であってもその全容は測りかねていた。

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 中田は呆れたようにこう漏らす。

©︎文藝春秋

「全力で走ったら速いと思うけど、そのアピールをしないんです。打っても、守っても、走っても、何をやらしてもよかった。でも、ガムシャラではないので、一番にはならない。それがヨシの印象でしたね」

「ヨシが僕の夢を叶えてくれた」

 今回の取材には中田の長男・厚大が同席していた。厚大は東岡山ボーイズで山本の1学年下だった。中学時代の山本について、厚大はこう証言する。

「我が道を行くという感じで、自分が嫌なことはしない。はっきりした人でした」

 生活態度はごく普通。模範生ではないが、目立った悪さをすることもない。ただし、イタズラ好きな一面もあったと厚大は明かす。

「よく遠征先で仲のいい子とタッグを組んで、イタズラをしていました。びしょびしょに濡らしたティッシュを『パックじゃ!』と友達の顔面にピシャッと叩きつけたり、夜中の2~3時頃に寝てる選手の鼻先へ、細長くまとめたティッシュを刺して起こしたり」

 肉体もサボり方もイタズラも、スケール感はこぢんまり。メジャーリーグで大仕事を成し遂げる予兆は、まったくと言っていいほどなかった。

 中田の取材には、東岡山ボーイズの創設者であり、現在は会長を務める78歳の藤岡末良も同席してくれた。藤岡はバックネット裏で中学球児を見やりながら、しみじみと口にした。

「僕が思うのはね、こんな河川敷のグラウンドから、ヨシのような選手が出るなんて、夢にも思わんかったということ。ヨシが僕の夢を叶えてくれたんですよ」

次の記事に続く 森繁和監督から「山本をちゃんと見てたんか!?」と詰問され…山本由伸を“獲り逃がした”男が明かす、多くのスカウトが「山本のことを記憶していない」納得の理由

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