ただ両者について長年思ってきたことを述べただけである。その中で私は、「自分を見せる」ことを完璧にこなし続けてきた美智子上皇后を「天才女優」だと表現した。この記事に対する反響は大きく、明仁上皇夫妻の側に一種の「私性」を感じて潜在的に反感を持っていた人々が、実は相当数いることが分かった。
明仁上皇夫妻と秋篠宮家の人気凋落は、結果として徳仁天皇一家の人気を高めることになった。こうした「比較による支持の反転」が、皇室の世界で何度もなされてきたのは、すでに述べてきた通りである。
「美智子さんは皇太子妃になるべき星の下に生まれたのだった」
光と影が交互に入れ替わる現象がなぜ繰り返されるのか。考えているうちに私の脳裏に浮かんだのは、前出した朝日新聞社の元編集委員岩井克己氏が著書の中で紹介した、美智子上皇后の小学生時代のエピソードだった。美智子上皇后の母正田富美子さんの弟である副島呉郎氏が次のように回顧している。
私はずっと、美智子さんは皇太子妃になるべき星の下に生まれたのだった、必然だったと思っています。小学校6年生のころに、私の家に来て、庭のバラを見て「叔父さま、陽に当たっているバラってすごくきれいね。でも、日陰になっているバラもあるからよけいにきれいに輝いて見えるのね」と言われて、衝撃を受けたのがずっと忘れられません。陰になっているものにまで目を向ける洞察力がすごいと思ったのです。
姉のよいところを美智子さんが受け継いだ……というより、姉の抱いていた理想像が結晶した姿が美智子さんだったのではないかと思っているのです。その意味では、美智子さまは日なたに輝くバラ、富美子は陰で支えるバラだったのだと思います。(岩井克己『宮中取材余話 皇室の風』)