高校へは進学せず、銃を扱いたい一心で陸上自衛隊への志願入隊を希望するも不合格。そこで、自動車修理工見習い、港湾荷役作業員などの職に就いた後の1963年5月、ブラジル行きを視野に国内航路のタンカーの見習いコックとなる。南米に行けば好きに銃を撃てると考えたのだ。そこには、当時の日本とブラジルには「犯罪人引き渡し条約」が存在していなかったため、たとえ銃絡みの事件を起こしてもブラジルに逃亡すれば捕まらないだろうという思惑もあった。

 乗船しては月に一度、自宅に帰る生活を続けて約2年後の1965年4月18日、待ちに待った18歳の誕生日を迎える。片桐にとって、この日は特別な意味があった。それまで姉名義だったライフル銃を自分の名義に変えられるからだ。さっそく最寄りの北沢警察署で変更手続きを行うとともに、貯金24万円から後に銃撃戦の舞台となる渋谷区北谷町(現在の神南一丁目)の「ロイヤル銃砲火薬店」で3万9千円のSKBライフル銃を月賦で購入。職場には40日間の有給休暇を申請しており、後楽園や立川の射撃場に足繁く通う。すでに、心の中では銃を使った大事件を起こす決意が固まっていた。

ライフル片手に警察官をおびき出し…

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 1965年7月29日午前11時ごろ、片桐はライフル銃を手に、以前射撃の練習で何度か訪れ地理を熟知していた神奈川県高座郡座間町(現・座間市)の山林に入った。そして「数人の子供が空気銃を撃って遊んでいる。危ないから止めさせてほしい」と警察に虚偽の電話をかけ、大和警察署鶴間駅前派出所に配属されていた田所康雄巡査(当時21歳)をおびき出す。