三重県志摩市の小さな離島・渡鹿野島は、かつて「売春島」と呼ばれ異様な賑わいを見せていた。パチンコ店、ストリップ劇場、置屋、ホテル——まるで東京の歌舞伎町のような歓楽街が、なぜこの離島に形成されたのか。

置屋のあった島の路地裏(写真:筆者提供)

 その背景には、島の有力者による資金提供があったという。

島の発展を支えた謎の人物「Kさん」

 売春防止法施行後も法律を無視して置屋を復活させた4人の女性たち。彼女たちの存在を島民たちは「賑やかでいいな」とおおらかに受け入れていた。島に警察署もなく、取り締まりも厳しくなかった時代、娼婦たちは島民と一緒に祭りや運動会に参加するなど、地域に溶け込んでいたという。

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 だが、この島の急激な発展には、もう一つの重要な要因があった。島民の三橋さんは、当時を振り返りながらこう語る。

「発展したのは、来客の増加はもちろん、同時に島の有力者だったKさんが島民にお金を貸してホテルや商店をつくる手助けをしたのが発端だったと聞いています」

 このKさんという人物こそが、島の歓楽街形成の鍵を握っていた。三橋さんによると「Kさんの女房があの4人のうちのひとりだったわけ」で、現在も「いまでもKさんの嫁は(置屋を)やっているよ。もう残っているのはKさんの嫁さんだけ。残りの3人の店は全部潰れた」という状況だという。

 小さな離島に突如として現れた歓楽街。その背景には、資金力を持つ有力者と、法の目が届きにくい地理的条件、そして地域住民の寛容さが絶妙に組み合わさった特殊な環境があったのである。

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