大学受験に失敗したら予備校に行けばいい――かつてはそれが当たり前の選択肢であり、浪人生はドラマの主人公にさえなった。今は昔。なぜこうも変わったのか。

 かつて河合塾、駿台予備校とともに「予備校御三家」の一角として君臨した代々木ゼミナール。近年は拠点を集約し規模を縮小しているが、教科ごとに君臨する「スター講師」たちは健在だ。予備校黄金時代の1970年代〜1990年代、なぜ代ゼミからは数多のスター講師が産まれたのか。以下、小林哲夫氏の著書『予備校盛衰史』(NHK出版)より、一部を抜粋して紹介する。

写真はイメージです ©optimus/イメージマート

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ベトナム反戦運動の中心人物となった代ゼミ講師

 1960年4月、小田実氏が帰国した。フルブライト基金でアメリカに留学したのち、世界をまわって日本に戻ってきたのだ。彼が代ゼミで教えるようになったのがその頃であり、国学院大助教授だった丸谷才一氏が代ゼミ創立者、高宮行男氏に紹介したと言われている。1961年、小田氏は海外での貧乏旅行をまとめた『何でも見てやろう』(河出書房新社)を発表し大ベストセラーになった。代ゼミにすればスター講師の誕生である。これは代ゼミの予備校文化形成に大きな影響を与えた。

小田実氏 ©︎文藝春秋

 小田氏は小説家として社会と向き合い、さまざまな発信をしてきた。1965年にベトナム戦争の「北爆」が始まったとき、彼は大学教員などとともに「ベトナムに平和を! 市民文化団体連合」(「ベトナムに平和を! 市民連合」=ベ平連)を結成し、ベトナム反戦運動の中心人物として活動する。一方、代ゼミのなかでは小松左京(さきょう)氏、小中(こなか)陽太郎氏、開高健氏に呼びかけて座談会を行っている(代々木ゼミ新聞1967年1月1日号)。68年に鶴見俊輔氏、69年にはいいだもも氏も参加した。

 1967年1月、やがて、小田氏の人脈からベ平連事務局長の吉川勇一氏、そして鈴木武樹(たけじゅ)氏(明治大教授)、小中陽太郎氏、高橋武智(たけとも)氏(元立教大教授)などが代ゼミで教えるようになる。高橋氏はベ平連の関連グループ「ジャテック」で、ベトナム戦争従軍アメリカ兵の脱走を支援する活動を行っていた。代ゼミ=小田実=ベ平連。そんな構図によって、予備校文化イコールリベラル系、左翼系と見られていた側面はある。