文菜が「ふらふらとしていた」理由
毎週の放送と放送のあいだに生まれる空白の時間は、登場人物の言動や会話の意味を反芻させ、視聴者それぞれの解釈をじわじわと浮かび上がらせる。毎週配信のWEBドラマもあるものの、視聴習慣として定着しづらく、同じ内容であったとしても、3ヶ月にわたって熱量を維持することは難しい。視聴者の「知りたい」「わかりたい」という欲求を掻き立てる物語の構成も、どこか考察ドラマのようだった。そう、むしろ本作は、テレビドラマというフォーマットの強みを、これ以上なく活かした作品だったのではないか。
筆者は文菜に対して「共感できる/できない」という二軸では見ていなかったものの、“永遠”を信じられず、どこか刹那的に生きる姿は、とても現代的に感じられた。何十年先の未来を思い描くことは、いまの若い世代にとって決して簡単なことではないからだ。
しかし、物語を中盤まで見進めると、文菜の漠然とした不安の正体がわかる。というのも、彼女は立て続けにフラれているのだ。
恋愛がことごとく続かなかった
高校時代の恋人・柴咲(倉悠貴)には上京を機にフラれ、文菜のことをかなり好いていた大学時代の恋人・佃(細田佳央太)からは、「もっと好きになってほしかった」と一方的に別れを告げられる。小説を書くきっかけをくれた二胡(栁俊太郎)は、誰かと付き合うことに向いていないと言っていたものの、その裏にあったのは文菜の才能への嫉妬だった。文菜はその後、ミュージシャンの田端(松島聡)に叶わぬ恋をしている。
ゆきお以外の恋愛がことごとく続かなかった以上(その関係も揺らいでいるのだが……)、文菜の振る舞いがああしたものになるのも腑に落ちた。それは文菜だけでなく、根無し草のように描かれていた山田や二胡にも言えることだ。ふらふらと漂う彼らにも、彼らなりの理由がある。とりわけ山田と二胡については、その行動原理や生き様に紐づくものが生死に関わる出来事だったので、やや説明的にも感じられたが、彼らの行動にきちんと理由づけがなされていた点も、どこか考察ドラマ的だった。

