90年代、抜群のスタイルと明るいキャラクターで人気を集め、ドラマ、バラエティー、グラビアと活躍した井上晴美さん。現在は故郷の熊本県に移住し、3人の子供の母として暮らしている。
アイドルグループ「桜っ子クラブさくら組」時代の知られざるエピソードから、世間を騒がせたスキンヘッドヌードの真相、そして現在のたくましい生活まで……そこには「普通が嫌い」と語る彼女の一貫した生き方があった。ライターの徳重龍徳さんが詳しく聞いた。
念願のアイドルデビューも…「お客さんは全員、SMAPファン」
アイドルに憧れていた井上さんは16歳の時、中谷美紀や菅野美穂も在籍した伝説のアイドルグループ「桜っ子クラブさくら組」のメンバーとしてデビューを果たす。グループを輩出したテレビ朝日のバラエティー番組「桜っ子クラブ」は、司会に森脇健児と「光GENJI」の内海光司を据え、さらにSMAPやTOKIOも出演する豪華な番組だった。
井上さんは女性アイドルとしての当時の複雑な心境をこう語る。
「お客さんが全員、SMAPのファンだったことは覚えてます。だから私たち『桜っ子クラブさくら組』はちょっと肩身が狭い(苦笑)。だってSMAPのファンにとっては女性アイドルが自分の好きなアイドルに近づいたらモヤモヤするじゃないですか。なので、なるべくSMAPとは番組中は目を合わせないようにしてました」
グラビアアイドルとしても人気を博した井上さん。所属事務所がその胸に1億円の保険をかけたことも話題を呼んだ。当初は「私って商品なんだな」「大人って嫌だな」と感じていたが、だんだんと自分の考えを言えるようになり、グラビア撮影も楽しんでいたという。そして、「人と違ったこと、変わったことが好き」という彼女の性格が、誰もが驚く行動へと繋がっていく。
事が起きたのは1999年。幻冬舎のポスターモデルに起用され、スキンヘッドにヌード姿の広告が新聞に掲載された。当然、世間は騒然となる。一体何があったのだろうか。
「当時の事務所の社長とのミーティングで出たアイデアで、『坊主ってどう?』と言われたので『いいんじゃない』って。坊主ってプライベートでやると事務所は『ダメです』と止めるじゃないですか? でも仕事だったら坊主にできるから。それで坊主になって、都内で篠山紀信さんに撮影してもらって。広告が出るまでは坊主になったことがバレちゃいけないからとイギリスに行って、そこで写真集の撮影をしました」
現在は3人の子供たちと熊本で生活、こだわりは「自給自足」
31歳の時、海外で知り合った男性と結婚し、第一子の出産を機に長野に移住した。引っ越した場所はスーパーもコンビニもない田舎だった。しかし、井上さんが見ていたのは不便な環境のデメリットではなく、メリットの部分だった。
「東京だと必要のないもの、なくてもいいものに埋もれています。ただ田舎に住むとそれが、断捨離されるんです。子育ても同じです。欲しいものは買うよりも作る。例えばおもちゃも手作りです。釣りに行こうとなっても、釣具店がないから『じゃあ、木の棒を探そう』『糸があるじゃん』と言いながら、釣竿を作る。そうすると道具がどうやってできているか子供自身が理解するんですよ」
自然と「自給自足」が子育てのなかに取り入れられていった。時には壊れた家のドアを自ら直したこともあった。現在では何か物が壊れると、18歳の長男が「俺、できるよ」とパパッとやってくれるようになったという。たくましく成長した子供たちを、井上さんは「かっこいいな」と思いながら見つめている。
2011年からは故郷である熊本県に移住し、今も住んでいる。2016年の熊本地震では自宅が全壊する被害に遭い、テントと車中泊での避難生活も経験した。一時は精神的に追い込まれ熊本を離れたが、戻ってきたのは子供たちのためだ。
かつてスキンヘッドとヌードに挑戦した井上さんのチャレンジ精神は、今もまた別の分野で発揮されている。会員制スナックの経営もその1つだ。さらに、今年1月からは子ども食堂「は~ちゃん食堂」もスタートさせた。
「毎月第3土曜日に熊本県菊池市民広場で開催しています。子ども食堂を開くのはずっと夢だったんですよ。地域の中で、子どもたちが安心して集まれる場所をつくりたいと考えていました。現在、ボランティアの方も随時募集しています。無理のない形で、継続していくことを目標に、一歩ずつ取り組んでいきたいと思っています」
<つづく>
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