福沢諭吉が「官」に入ることを拒絶した理由

落合 本当にそう思いますね。

先崎 落合さん、まだ30代ですよね?

落合 いま30代後半です。

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先崎 若いうちに日本の役所の根本問題みたいなものを実感されたのって、すごく貴重な経験だと思うんです。それを、どうか今後に生かしていただきたい。端的に言うと、「正しく」生産性が上がるようにしていただきたいってことですね。

 ポイントは「正しく」にあって、生産性向上と号令をかけると、社員をリストラして2分の1の人件費で従来業務をやらせて2倍の生産性を生み出そうとする。これって否定的で冷徹な人間関係しか生み出さない。つまり社会の空気をマイナスにしてしまうんです。

 逆に一個人のパワーをあげて2倍の仕事をさせればよい。空気は澄んで明るくなるでしょう。日本には才能のある人がたくさんいるし、優秀な人もたくさんいるんですよ。

 でも、官の側に入ると、どうしようもなくなる。明治5年(1872年)から書きはじめた、福沢諭吉の『学問のすゝめ』にそう書かれています。だから彼は、慶應義塾を私立のまま死守したんですね。何回誘われても、官の側には絶対入らなかった。

先崎彰容氏 ©文藝春秋

落合 僕は20代後半から、手順に8割取られる世界でずっと揉まれてきたんです。本当に何とかしたいとは思ってますけどね。でも、闇は深いですよ。

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