「メディアに出るたびに、兼業届を提出してます」――そう語るのは、メディアアーティストの落合陽一氏だ。自由に活躍しているように見える彼でさえ、日本の組織では厳格な手続きに縛られているという。
なぜ、日本では「結果」よりも「ルール」が優先されてしまうのか。優秀な人材ほど、その枠組みの中で動きを制限されてしまうのはなぜか。落合陽一氏と先崎彰容氏が、激変する世界秩序の行方を語る。新刊『令和日本をデザインする』(文藝春秋)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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メディアに出るよりも「手続き」のほうが大変
落合 手順に八割取られるのは、大学も同じなんです。僕はメディアに出るために、兼業届を提出してます。そもそも講義と時間が被ってると大学はOKしてくれないから、僕は夜にしかメディアに出ないんですけど、そのための手続きが大変で。たとえばNewsPicksの「WEEKLY OCHIAI」でもそうですね。
先崎 私も以前、大学の上司から、「お前、講義休講届だしてテレビにでるとは何事か」って呼び出しをくらい、事務員の前で頭を下げたことがあります。
さらに「お前、もううちの大学辞めるつもりだから、適当なことをしてんだろう」って。全くそんなことないのに、自分のなかの他者像をどんどん言って、自分で勝手に怒っている(笑)。この時くらい、吉本隆明の「共同幻想」って言葉が身に染みたことはない。思想は現実に密着してこそ意味があるね(笑)。
でも、落合さんまでそんな状態なの? 落合さんっていうのはもうフリーランスに近い状態で、いちおう肩書きだけもらって自由にやりたい放題やってる人だと思っていました。
私は、「自分が落合さんみたいに活躍できないのは、大学が自由にさせてくれないからだ」とか飲み会でよくグチってたんですが、もう何の言い訳もできないや。
