「そりゃ労働生産性が上がるわけねえだろ」――そう言い切るのは、メディアアーティストの落合陽一氏だ。日本の官僚組織では、仕事の大半が“手順”や“形式”に費やされ、肝心の中身に割ける時間はわずかだという。
なぜ、優秀な人材ほど「ムダ」に縛られてしまうのか。民主主義の「遅さ」とは何を意味するのか。本稿では、落合氏と先崎彰容氏が「新時代の倫理」と日本社会の構造問題を徹底的に語り合った『令和日本をデザインする』(文藝春秋)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)
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「手順が8割」だから生産性が上がらない
落合陽一(以下、落合) 僕は政府の仕事にいろいろ関わっているので、実感しているんですけど、日本の役所って8割の時間を手順だとか、そこでしか通用しないノウハウのために使ってしまうんです。
で、実質的な中身には2割の時間しか使わない。こんな圧倒的な時間の無駄に、圧倒的に優秀な官僚の人生を使っちゃうんだから、「そりゃ労働生産性が上がるわけねえだろ」って僕はいつも思ってます。
しかも、残った2割の時間も、パワーポイントで玉虫色の資料を作るのに使ったりする。「最終的に形になるもののクオリティを上げてください」って国民は望んでるのに。段取りが重要なのはわかるが、結局は最終成果物がすべてじゃないですか。それなのに日本では、段取りに足を引っ張られて最終成果物のクオリティが下がっている。
先崎彰容(以下、先崎) たとえば中国だったら、「この地下鉄を2030年までに作れ」って号令がかかれば、段取りをすっ飛ばしてでも作るわけです。剛腕社長国家が中国(笑)。もちろんよくないことなんだけど、このトップダウンの指揮系統と馬力に日本は対抗できるのかっていう問題も突き付けられている。しんどい時代なんですよね。
対する、民主主義が持っているいちばんいいところは、実は「遅さ」なんです。きちんと手順を踏んで、独裁にならないようにやっていくという。これはものすごく大事なことで、どこまでも強調しなくちゃいけません。ただ、形式的な書類を作るとかいったことに忙殺されて、日本が疲弊しているのだとしたら、これは一体何なのかと根本から考え直さなければならない。
