ついにここまで来たか。日本経済新聞がまとめた2017年の「主要商品・サービスシェア調査」の携帯通信インフラ(基地局)部門で、中国の華為技術(ファーウェイ)が世界シェア27.9%を獲得し、スウェーデンのエリクソンを抜いて首位に浮上したのだ。
ファーウェイの2017年の連結売上高は、前年比115.7%の6036億2100万元(約10兆4300億円)。純利益は474億5500万元(約8200億円)という「通信の巨人」を創ったのが任正非だ。
1944年、安順市鎮寧プイ族ミャオ族自治県に生まれ、苦学して重慶大学に進んだ。卒業後の1974年、工場などを建設する基本建設工程兵として人民解放軍に入隊した。
83年に退役すると、石油基地メンテナンス会社で働いていたが、87年、44歳の時、数人の仲間と共に退役手当を元手に通信機器の卸売をするファーウェイを立ち上げた。中国製の通信機器があまりによく故障するので、やがて自分たちで機器を作るようになった。
80年代後半から90年代半ばにかけて、中国では通信網の整備が急激に進んだ時期である。創業当時、深圳市だけでも200社を超える通信機器メーカーがひしめき、世界の通信機器大手が押し寄せていた。
資金力でも技術力でも敵わないファーウェイは地方の農村の郵便電話局を相手にビジネスを始めた。そこから市、省、全国へと10年かけて市場を広げていった。海外でもシベリアの北極圏やチベットの高地など大手が来ない場所で地道に通信ネットワークを構築していった。
任正非はまさに立志伝中の人物だが、その実像はほとんど知られていない。「肥えた豚は年の瀬に殺されやすい」という中国の格言を引き合いに出し、創業者であるにもかかわらずファーウェイの発行済株式の1%強しか保有していない。株式は非公開で上場益も手にしていない。
「ビジネスの夢を叶えたいなら、社会との係わりを自制し、目立たないようにすることだ」と述べ、メディアの取材を全く受けない。中国では、起業家が共産党の中央委員会で要職を占めるケースが増えているが、任は「ビジネスに政治的な計略を持ち込まない」と言い、地方政府の議員にすらなっていない。
日本ではファーウェイの突出した成功について「人民解放軍出身の任が共産党と深い繋がりを持っているから」と説明する向きもあるが、そうではない。ファーウェイは、その技術力と外貨獲得の力を政府に対する交渉力にして、自主独立の地位を守っているのだ。
任にまつわる話でわずかに伝わっているのは、ファーウェイ創業の際に、日本企業をお手本にしたということだ。任は日本の歌手、千昌夫の大ファンで2001年に日本を訪れた時のことを書いたレポートに「北国の春」というタイトルをつけている。その中で任はこう語っている。
〈「北国の春」という歌は、勤勉な日本人の生き方の縮図である。(中略)このような精神がなければ、20年程度で戦後の廃墟から奮い立つことなど不可能だろう。日本人はきめ細かい作業に長けている。数多くの魅力的な商品を作り出し、世界の人々から尊敬を勝ち得ている。私も、不景気に打ち勝つ忍耐力と楽観的な精神力を彼らから教わった〉
しかし、かつて世界の通信インフラ市場を席巻した日本メーカーはなりを潜め、今ではファーウェイ、エリクソン、ノキアの3社による寡占状態になっている。
日本の衰退ぶりを目の当たりにした任は2001年、社員向けに「ファーウェイの冬」というタイトルの文章を書いている。
〈君たちは考えたことがあるだろうか。ある日、会社の売上高が落ち込み、利益がなくなり、破産の淵に追い込まれたら、我々はどうすればよいのかと。(中略)私は確信しているのだ。“その日”は必ずやってくると〉
〈IT業界は今は春だが、冬はそれほど遠くない。(中略)その時、綿入りの分厚いコートを持つ者だけが生き延びられるのだ〉
冴えない格好で社内を歩き、ただの古参社員によく間違われる任は、どんな時にも警戒を怠らない。73歳という任の年齢だけが不安要素だが、彼が手綱を握っている限り、ファーウェイが日本の通信機器メーカーの轍を踏むことはなさそうだ。
出典=文藝春秋2018年9月号