「現代中国の大きな政治的なタブーといえば、やはり天安門事件。自分も中国ライターとして、そこに挑戦したいという気持ちがありました。私が取材をはじめた2011年頃は、胡錦濤政権の後半で規制もだいぶゆるく、正面きって政府や事件を批判しなければ、発言の自由がかなり許されていました。だから正直あまり大きな覚悟を持って始めたわけではなかったんです(笑)。ところが取材しているうち習近平政権になって空気が変わり、肌感覚として締め付けの厳しさを覚えるようになって……」
安田峰俊さんが最近上梓した『八九六四』は、1989年6月4日に起きた天安門事件に様々なかたちで関わった人々を取材したルポ。民主化デモに直接参加していた人たちだけでなく、参加者に差し入れをしていた北京市民、政府側の警備に駆り出された大学生など多彩な人々の記憶と現在とをひとつひとつ丁寧なインタビューで紹介する。
「これまで天安門事件を扱った本は幾つも出されていますが、多くは民主化運動=善といった紋切り型の本です。自分はそういう内容にしたくなかった。本書がモデルとしたのは、産経新聞の記者たちが“全共闘運動”を取材した『総括せよ! さらば革命的世代』(産経新聞出版)。一方的に断罪するのではなく、当事者たち一人ひとりに淡々と話を聴くなかで、“全共闘運動”とその敗因が浮かび上がってくる。私もそういう筆致で天安門事件を描きたいと思いました」
中国ではその名を口にすることもできない事件の取材だけに、取材はさながらスパイ小説だ。
「人づてに紹介してもらうだけでなく、偶然出会った人との会話から取材の糸口をみつけたり。中国では電話もインターネットも全部当局が監視しているのが当たり前ですから、電話でも“あの時あなたが話していた80年代の思い出について、今度詳しく聞かせてもらえないか”などと遠回しに伝えるんです。すると向こうも察してくれて。取材場所も相手の家だったり、ハイキングを装って山中で話を訊いたり。ただ、正確なところは不明ですが、外国人のジャーナリストである私は中国国内での行動を逐一マークされていてもおかしくない。最近では街中に監視カメラが設置され顔認証システムもありますからね。今では同じような取材は無理ですし、するつもりはない。本書は辛うじてまとめることができたんです」
『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』
現代中国の出発点である「天安門事件」は、いま中国人にとって、どんな意味を持つのか。当時現場で参加したもと学生、天安門広場でのリーダーであった王丹やウアルカイシ、弾圧の現場に遭遇した北京市民、年を経て事実を知った人々や若き香港の反中国運動家など、インタビューによって多面的に読み取る野心的作品。