安藤の瑳峨への献身
瑳峨は、3日間40度を超す高熱を出した。体重も38キロまで減った。吉祥寺の瑳峨邸にいた安藤も、「もう駄目か……」と思うほどの病状だった。瑳峨は、高熱でうなされ、わけのわからないことをつぶやき続けた。
瑳峨は、あまりの苦痛から悶絶した。それを看る安藤も、死に水をとるつもりで瑳峨を病院に連れて行った。
そのあと、安藤は、熱心に介護を続けた。いや、熱心を飛び越えて、瑳峨にかかりきりになっていた。安藤の所属していた太平洋テレビの清水昭社長は、安藤の瑳峨三智子への献身ぶりを証言している。
「彼女の生活費も治療費も、安藤の申し出で彼のギャラのなかからまわしてきた」
瑳峨にかかりきりになっていた安藤は、他人からいろいろ忠告された。
「それほどすることはない、彼女には、れっきとした母親の山田五十鈴がいるじゃないか」
確かに安藤の仕事には、マイナスだった。松竹時代は、1年間に11本の映画に出演するなど多忙をきわめた安藤も、昭和43年には、わずか2本しか出演していない。1月14日公開の『日本暗黒史 情無用』と5月14日公開の『密告』だけである。
さらに、翌44年の初作品は、7月8日公開『日本暴力団組長』となる。つまり、昭和43年半ばから44年前半にかけて、人気絶頂の俳優・安藤昇に不可思議な空白期間があるのである。
そもそも安藤は、瑳峨の姿、形に惚れたわけではない。女優としての芸の深さと、女としての細やかな情感に心を惹かれたのだという。安藤がタバコを吸いたいと思うと、その瞬間にスッとタバコを出してくれる。
そんな男女の心の通い合い、つまり自分のことよりもいつも相手に気を遣っている瑳峨の姿に打たれたのである。女心のやさしさに男が応えるとしたら、それに倍するやさしさでいたわるしかない。損得なんて考えるべきじゃない。それが安藤昇の生き方であった。
クスリを断つ決心を変えぬように、毎日励まして
安藤流の治療法は次のようであった。
まず、嵯峨に欲しいだけのクスリを与え、最高量を知ると、次はクスリのルートを探って、全部断った。クスリは、医師、薬剤師、お手伝いさん、運転手のほかに、嵯峨の機嫌をとるためにつけ届けする者までいた。クスリ代だけでひと月に20万から30万円もかかっていた。
クスリはすぐにやめずに、2年がかりのつもりで、少しずつ減らし続けていった。安藤は、かつて知人の中毒患者が一度にクスリを断ち、心臓麻痺で亡くなったことがあった。その経験が生きたのだ。
嵯峨自身がクスリを断つ決心を変えぬように、毎日励ました。安藤は、朝早くから日光浴をさせたり、散歩をさせた。その都度、「君には舞台がある」と連呼した。
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