炎と煙に包まれた7階フロアで、人々は逃げ場を失い、極限の選択を迫られた。なぜ118人もの命が奪われる事態に至ったのか――。鎮火後の検証と裁判で明らかになったのは、手抜き工事や放置された設備不良など、重なり合った“人災”の実態だった。昭和47年に起きた「大阪・千日デパート火災」の実像を、鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

写真はイメージ ©getty

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「まさに地獄」

 22時41分、火災の急速な拡大に伴い、エレベータードアの隙間から吹き出す煙は急激にその量を増すと同時に、白煙から黒煙へと変わった。ここで初めてサロンの人々は千日デパートで大規模な火災が起こり、一刻を争う事態が身に迫っていることに気づく。

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 22時42分、客やホステスたちが地上へと避難するため2機のエレベーターに殺到した。が、エレベーターから吹き出す煙は激しく、乗ることは到底不可能。同様に非常階段も使えず、彼らはホール内に戻らざるをえなくなる。一方、このころになって、ようやく火災を伝える館内放送があり、従業員らが「落ち着いて行動してください」と呼びかけたものの、具体的な避難誘導は無し。地上への逃げ道がなくなったことで客たちはパニックに陥った。

 窓際やステージ裏の小部屋の窓を割り、救助を求める人々がハンカチや、脱ぎ捨てた衣類を地上の消防隊に振り自分の居場所を知らせる。中には地上を目がけてハンドバッグやバケツ、コンロ、日本髪のカツラなどを投げる人もいた。

 ホステス更衣室にいた女性たちは孤立無援の状態になっていた。部屋のドアを解錠して階段から脱出を試みる者もいたが、階段はすでに黒煙で汚染されており、ドアを開けたことで逆により多くの煙を流入させる結果になってしまう。

 言うまでもなく火災の煙には有毒な一酸化炭素が含まれており、これを否応なしに吸い込むことになった彼女たちに待っていたのは「死」以外になかった。煙に苦しんでいたのは窓際に集まっていた客も同様で、22時48分ごろには、はしご車の救出が待ちきれず7階から地上に飛び降りる人が出始める。まさに地獄だった。