多くの客でにぎわう夜のデパートで、突如発生した大火災。煙は瞬く間に建物をのみ込み、逃げ場を失った人々は極限の判断を迫られた。なぜ118人もの命が奪われたのか――。高度経済成長の裏で起きた「大阪・千日デパート火災」の発端を、鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む

写真はイメージ ©getty

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118人が死亡した「恐怖の大火災」

 1972年(昭和47年)5月13日深夜、大阪ミナミの繁華街に建つ千日デパートで大規模な火災が発生した。3階の布団売り場から出た火と煙は瞬く間に上層階へと広がり、事態を把握できないまま逃げ場を失った7階サロンの客や従業員の中には絶望の中で窓から飛び降りる人もおり、結果、118人が死亡、81人が負傷する大惨事となる。

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 高層ビル火災においては炎による「火害」よりも煙や有毒ガスによる「煙害」こそが最も恐ろしいことを日本国民に知らしめた本事故の背景には、すさんな防火管理体制、不十分な避難設備、建物の構造的欠陥が隠されていた。

事件当日、何が起きた?

 千日デパートは1958年12月、大阪市南区難波新地(現・中央区千日前2丁目)の千日前交差点・南西角に建っていた初代大阪歌舞伎座を改築し、新装開業した複合商業施設(地下1階、地上7階建て)である。経営者は日本ドリーム観光(1993年、ダイエーに吸収合併)で、利便性の高い立地、午前10時~21時まで年中無休の営業、約350の小売店舗が出店する目新しさなどから開店当初は多くの客で賑わった。しだいに物珍しさは飽きられ売上は低迷したが、1967年3月に大手衣料品スーパー「ニチイ」が4階を独占する形でニチイ千日前店をオープンすると、同店は全国のニチイの中で売上トップを記録。それに引っ張られるようにデパート全体の売上も順調に回復した。

 種々様々なショッピングに加え、館内には演芸場の千日劇場、6階にゲームセンター、7階に女子大生・OL・主婦など素人女性が接客するアルバイトサロン(通称アルサロ)「チャイナサロン・プレイタウン」があった他、屋上遊園地に観覧車が設置されていたことなどから、ミナミ千日前界隈において無くてはならない商業娯楽施設となっていた千日デパートに異変が生じるのは、1972年5月13日(土曜)閉店から1時間半後の22時27分ごろ。