フリードリヒ大王のフルートコンサート 1852年、油彩、142×205cm 旧国立美術館(ベルリン)©ユニフォトプレス

 ヴェルサイユ宮と見紛うここは、ベルリン郊外ポツダムにある王宮サン・スーシ(=無憂宮)。眩いシャンデリア、金蔓彫りの額装付き大鏡、猫足の楽譜スタンド、灰色鬘と袖のフリル……ロココ趣味の横溢するこの広間で、こぢんまりした演奏会が開かれている。

 フルートを奏でる壮年の男が階級の低い音楽家などではない証拠に、女性以外の聴衆は皆、着席せず立ったまま拝聴している。彼こそ、誰あろう、プロイセンをヨーロッパ列強にねじ込んだ「大王」にして、この宮殿の主、フリードリヒ二世なのだ。

 フルートの趣味は王太子時代からのもの。美術と衣装は「おフランス」式。読み書きもフランス語一辺倒で、ドイツ語は馬丁の使う下品な言葉と公言して憚らなかった。学問好き。女性嫌い。政略結婚した妃はサン・スーシに一歩も入れなかったし、彼女には一指も触れなかった。子ができるはずもない(後継者は甥)。

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 そんな次第で軍人気質の父王からは、なよなよした女の腐った奴と決めつけられ、楽器や本を壊されたり燃やされたばかりか、危うく廃嫡されかけたことさえある。

 そんなフリードリヒが世界に別の顔を見せたのは、父が死んで王位に就いたその直後だ。隣国オーストリア・ハプスブルク家の領土シュレージエンに有無を言わさず軍を進め、肥沃なその一帯を奪い取ってヨーロッパ地図を塗り替えた。まだ若かったマリア・テレジア女帝は恨み骨髄で、終生フリードリヒを許さず、「モンスター」「悪魔」「シュレージエン泥棒」と罵った。

 その後もフリードリヒは宗教難民や移民を受け入れて人口を三倍に増やし、富国強兵に拍車をかける。危機感を抱いたオーストリアが仇敵フランスと組み、マリー・アントワネットをルイ十六世に嫁がせたのはそれが要因だった。

 外では強面の軍人、内では優雅なロココ人たる大王の、フルートの腕前は、さて、どうだったのか。同時代の宮廷人は絶賛していたが、そんなお世辞は信用ならない。画面右端で耳を傾ける、王のフルート教師クヴァンツの複雑な表情から推測してみよう。

■憂いのチェンバロ奏者
どことなく心ここにあらずの憂い顔でチェンバロを弾いているのは、かの大バッハの息子カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ。才能を見込まれて宮廷音楽家となったものの、雇い主の王の個性が強烈すぎる上、彼の伴奏ばかりでストレスも溜まる(それでこの表情か)。我慢は27年。王には引き留められたがそれを振り切って自由都市ハンブルクへ逃れ、のびのびと作曲や音楽監督に専念し、当時としては長命の74歳まで生きた。

アドルフ・フォン・メンツェル Adolph von Menzel
1815〜1905
ドイツの画家・版画家。フリードリヒ大王の伝記に四百枚の挿絵を描いた。

中野京子 Kyoko Nakano
作家・独文学者。2017年「怖い絵展」特別監修者。最新刊『名画の謎 対決篇』(文春文庫)。

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