サムソンとデリラ 1610年、油彩、185×205cm ロンドンナショナルギャラリー ©ユニフォトプレス

 これは旧約聖書の悲しく切ない物語。世の男性は一人残らず落涙せずにおられまい。

 大男サムソンは神から与えられた怪力の主だったが、その力のもとを探ろうとして敵が美女デリラを差し向ける。あっさりハニートラップにかかったサムソンは、髪の毛を切られたら無力化することを彼女に打ち明けてしまう。

 かくしてサムソンは髪を切られ、両目を潰され、屈辱の奴隷生活を送るが、再び髪が伸びはじめた時、最後の力を振りしぼって敵を倒し、自分も死んでゆく……。

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 サムソンとデリラのこの物語は劇詩になり、オラトリオやオペラになり、映画にもなった。もちろん画家のイマジネーションも大いに刺激し、多くの絵画も生んだ。名画として知られるレンブラント作品は、寝込みを襲われ槍で目を突かれるサムソンを、デリラが嘲笑う残酷なシーン。

 一方、ルーベンスの本作は、髪を失う直前。

 デリラとの甘いひと時を過ごしたサムソンは、満足しきって彼女の体の上で眠り込む。そこへ老女と男が忍び寄る。老女が掲げるロウソクの灯のもと、男は慣れた手つきで素早くサムソンの髪を切り始める。画面右端の半開きの扉からは兵士らの姿が見える。サムソンの無敵の力が失われたのを確認した後、押し入るつもりだ。

 デリラの複雑な表情は読み取りにくい。だがサムソンの逞しい背中に優しくそっと触れる彼女の手は、明らかに「裏切ってごめんなさい」と語っている。

 愛していたのだろうか? それとも子供のように自分を信じて疑わないサムソンのいじらしさに、情がわいただけなのか?

 サムソンは片腕をだらりと垂らしており、これは絵画表現上、死をあらわす。つまり天下無双の戦士サムソンはここで死に、あとは凡人が残るばかり。デリラの哀惜はそこにあったのだろうか?

 ルーベンスはデリラを完全な悪女に造型しなかった。そのことがいっそう見る者の哀れを誘う。

■踊るような手

なんと表情豊かな手だろう。これを見ただけで、画家が只者でないとすぐわかる。身体各部のうち、とりわけ手を描くのが難しいとされるのは、誰もが日常的に見慣れているため、ほんのわずかな狂いやズレでもすぐ気づかれてしまうからだ。正確に描写するには解剖学的知識が必要だし、繊細な動きを表現できなければ、雄弁に語らせることもできない。まだ若いルーベンスの、「どうだ!」という誇らしげな気分が伝わってくるようだ

ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens
1577~1640
秋から東京の国立西洋美術館で「ルーベンス展―バロックの誕生」が開催予定

中野京子 Kyoko Nakano
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