「本当に愛してるのはキミだけだ。いずれ一緒になろう」

 その言葉の裏で何が起きていたのか――。高度経済成長の陰で起きた一家心中。その裏には、大学助教授による「不倫」と「殺人」という衝撃の事実が隠されていた。

 順風満帆な人生はなぜ崩壊したのか。愛と欲望が招いた事件を、鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む

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写真はイメージ ©getty

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海岸で発見された「4人の遺体」

 1973年(昭和48年)9月5日、静岡県伊豆半島南端の海岸で一家4人の遺体が発見された。身元は立教大学助教授の大場啓仁(当時38歳)、その妻(同33歳)と6歳と4歳の娘2人。

 崖の上に置き手紙があったことから、警察は飛び降りによる一家心中と断定したが、その後の調べで、大場が心中の1ヶ月半前に大学の教え子で不倫相手だった女性を殺害していた衝撃の事実が発覚した。

 大場は1935年、静岡県西部の森町で煙草販売所を営む家庭に生まれた。両親ともに結核患者だったことから生まれてほどなく隔離される形で親戚宅に預けられ、両親の死後、同県磐田郡袋井町(現・袋井市)の左官職人の養子となり、さらに東京都葛飾区堀切に移り住んだ。

 戦時中に栃木県宇都宮市に疎開し、中学と県立宇都宮高校に進学。幼少期より軽い吃音症を患っており性格も内向的だったが、学業成績は優秀で高校卒業後は立教大学文学部英米文学科に入学する。1958年に大学を卒業した後は就職の道を選ばず、そのまま同大学院修士課程・博士課程に進み、19世紀のイギリスで活躍した作家ヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)の研究を主軸に置いた。

 院生時代、学術誌への投稿論文は1本もなく、業績と呼べるものは数点の学内紀要と若干の翻訳しかなかったが、文学部の権威だったアメリカ文学研究家の細入藤太郎教授(1911-1993)に取り入ったことで同大学一般教育部専任講師に採用され、研究者としての定職を確保した。

 学生のころは服装に無頓着で、口下手でもあったことから女性との交際も上手くいかなかったが、専任講師の座を得て以降、女子学生にモテるようになり、1966年には5歳下の女性と結婚。